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地域の魅力 ふる里再発見

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福島県伊達市

■亀岡家の建主、正元(まさもと)の人生
国指定重要文化財「旧亀岡家住宅」は、令和3・4年の地震の被害を受け、現在災害復旧工事を進めており、完成間近です。
6月17日(土)から住宅の一般公開を全面的に再開することを記念し、同日より企画展を開催します。今回は明治時代にこの住宅を建てた亀岡正元(まさもと)の生涯について紹介します。
亀岡正元は、文久元(1861)年9月10日に西大枝村(現国見町)に生まれ、幼名を与惣治(よそうじ)と呼ばれました。明治9(1876)年3月に亀岡金太郎の娘せいの婿となり、明治22(1889)年からは正元と名乗りました。家業は蚕種(さんしゅ)(蚕(かいこ)の卵)製造や農業、金融業を営み、次第に財産を蓄積していきました。蚕種製造家としての亀岡正元は、「伊達郡名家養業書※」によると、人一倍研究熱心で、特に蚕の育て方や蚕種の研究を行い、全国にその販路を広げたなどの功績が記載されています。
明治25(1892)年6月以降は、伊達崎村(現桑折町)会議員として21年間にわたって村政に関わり、明治37(1904)年4月~同45(1912)年3月まで村長を務めました。
また、郡会議員や県会議員として、地方自治の振興・発展のために働きました。大正8年9月で全ての公職を辞めてからは、東京都牛込に引っ越して、金融業を営み、昭和20(1945)年2月20日に亡くなりました。享年85歳、多方面で活躍した人生でした。
※樋口英雄著(明治27年)

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