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福島県伊達市

■市柳熊坂家の歴史

▽令和5年度第2回企画展
市柳熊坂家の至宝
9/30(土)~
伊達市保原歴史文化資料館

伊達市保原歴史文化資料館では、企画展「市柳熊坂家(いちやなぎくまさかけ)の至宝」を9月30日(土)から開催します。本企画展では、市柳熊坂家に伝来する、絵師適山(てきざん)・蘭学者蘭斎(らんさい)兄弟のさまざまな資料を展示します。今回は市柳熊坂家の歴史とそれにまつわる展示作品の中で家譜(かふ)(家系図)をご紹介します。
家譜によると、熊坂家の先祖は保元(ほうげん)の乱(1156年)で源義朝(みなもとのよしとも)に従い勇名を馳せた熊坂四郎長範(ちょうはん)とされています。ここから二十代を経た熊坂主計(かずえ)は、天正30(1590)年の豊臣秀吉による小田原攻めの際、わずか16歳で北条氏家臣に従い、伊豆国山中城に籠城(ろうじょう)したとされています。その後小田原城に移り小田原落城により、安達郡戸沢村(現:二本松市戸沢)へ逃げ延びたと伝えます。主計は戸沢村で結婚し、土佐(とさ)が生まれました。その後土佐は伊達郡市柳村(現:保原町)に移り住み、土佐から八代を経て適山・蘭斎の父である伝右衛門(でんうえもん)が生まれます。伝右衛門は造酒屋や養蚕(ようさん)業を営み、豪商であったことが記録などから読み取れます。
適山は先祖の足跡を調べて、ルーツとなる長範にたどり着きました。しかし長範は江戸時代、義経に討たれた盗賊として舞台などで演じられていました。このことを大変残念に思った適山は長範の調査を行い、人物画の名手・高久隆古(たかくりゅうこ)に長範の画を描いてもらいました。また熊坂家の正式な歴史を、隆古と親交のあった杉竹外(ちくがい)に記してもらい、これを題讃(だいさん)(軸画についての由来や賛辞)とし、後世へ残したのです。

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