■旧五十嵐家住宅(8)
どんな民家が古いか 間取りの変遷
縄文の遺跡を発掘すると一つの間取り、一間取りが多いようです。弥生時代に入っても古代でも一間取りが多いようですが、江戸時代の初めまでの記録はほとんど無く、それ以降になると複数の間取りが一般的になります。調理する、食べる、寝る、仕事をする、保管するなど家の中での生活の分化が複数の間取りの発生に関わります。
部屋は壁や建具で間仕切りられますが、時には取り外して広くするなど融通性があり、高温多湿を解消し、開放的にも使える日本独特の民家構造が生まれました。
近世期の民家の大部分は農家なので、その間取り形式と変化をみますと、代表的な間取り形式には「広間型(三間取り型)」「四間取り型(田の字型)」等があります。
「広間型(三間取り型)」は近世の農家の中でも最も多く見られる間取り形式で、東北地方などで数多く見られ、時代とともに広間が表裏に二分割されて「四間取り型(田の字型)」に移行します。
大正期頃から部屋を通らずに行き来できる廊下を設けるようになりますが、こうした近世的な間取り形式の建物は昭和三十年代に入っても建てられています。
▽時代が新しくなっていくにつれての間取りの変化
部屋が少ない⇒部屋が次第に増えてくる⇒部屋数が増えると部屋の行き来のための廊下ができる
古墳時代(竪穴建物跡)⇒江戸時代(旧五十嵐家)⇒現代(※)
※住まいの図集間取りの上手なまとめ方(著:伊藤高光昭和59年)より
※図など詳細は、本紙またはPDF版19ページをご覧ください。
問い合わせ:町史編さん室
【電話】83-3010
※中央公民館2階にて『会津坂下町史』を販売しています。(平日午前8時30分〜午後5時)
<この記事についてアンケートにご協力ください。>