『金次郎像はパブリック・アートの先駆け』
皆さんは「パブリック・アート」という言葉を聞いたことがありますか。日本語に置き換えると「公共芸術」になります。道路や公園などの公共空間に設置された芸術作品やその取り組みのことです。美術館の中で鑑賞する芸術作品と対比して「野外芸術」とも呼ばれます。本市では特に原町区で彫刻作品を見かける機会が多いのではないでしょうか。
例えば、市役所西方の大木戸川に架かる道場橋の両端に、沖村正康が制作した男女のブロンズ像があります。また、馬事公苑には中村晋也のペガサス像「翔」を見ることができます。このように、パブリック・アートは芸術を身近に感じられることを意図して設置された芸術作品です。
この考え方は1970年代に欧米から日本に取り入れられましたが、もうひとつの考え方として、何らかの社会的な意図を持たせて設置された芸術的要素のある作品のことも指します。この萌芽(ほうが)は、実は日本ではずっと以前からあります。
岩手県の萪内(しだない)遺跡からは縄文時代の彫刻を施したトーテムポールのような木柱が出土しています。以後、平安時代から鎌倉時代に造立された摩崖仏(まがいぶつ)、江戸時代に庶民に定着した野仏(のぼとけ)もこれに当たります。これらは宗教的な意味合いが第一義ですが、明治時代以降には、社会意識の醸成(じょうせい)や啓蒙(けいもう)のための作品設置が出現します。それが二宮金次郎(尊徳)像です。至誠(しせい)、勤労、一円融合(いちえんゆうごう)などの考え方が当時の政治体制に都合よく利用され、昭和3年(1928)には各地の小学校に銅像が設置されました。金次郎像は特定の意図をもって設置されたアート作品の先駆けになったのです。戦後、報徳仕法は再評価され、今日では、金次郎像は当地域の歴史と文化の一側面を示す公共芸術としてみることができます。
1月11日(土)からは企画展「寄贈コレクションで見る日本近現代の彫刻」が始まります。こちらもぜひご観覧ください。
問合せ:市博物館
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