『結婚と里帰り』
2月2日は、いくつかある「夫婦の日」の1つだそうです。そこで、今回のテーマは「結婚と里帰り」についてです。
本市周辺では、昭和の初めころまで、現代の結婚式や披露宴に当たるオフルマイ(ゴシュウギともいう)の後、3日から7日の間に、初めての里帰りをすることが通例でした。
3日後に里帰りをした場合はミツメ、5日後ならイヅツメ、7日後ならナナツメと呼ばれていました。
ただし、この里帰りは、心が休まるものではなかったでしょう。1人で実家に帰るわけではなく、仲人の妻(ゴシナンオッカ)、しゅうとめ、またその姉妹が同行するからです。あくまでも儀礼の一部だといえます。
結婚後、嫁ぎ先で忙しい日々を送る女性がしっかりと里帰りできたのは、盆や正月、祭り、田植え前後の休日などでした。
『小高町史』(昭和年)に50は、ミツメや年始、盆の里帰りの話に続いて「初田植えには婿と二人で手伝いに行く」とあります。
娘を送り出し、人手が減ってしまった実家に夫婦共だって手伝いに行くことは、労働力の確保という観点からも必要な慣習だったのではないでしょうか。
さて、日本全国の結婚や里帰りにまつわる風習を見ていくと、意外に多様な世界が広がっています。
例えば、北東北の一部地域では、結婚後の数年間、婿が義実家で住み込みで働く風習がありました。期間の長さに応じて、三年婿や五年婿と呼ばれていました。
また、能登地方では、ヒートリ嫁といって、女性側が嫁ぎ先と実家を交互に行き来する風習もありました。長い場合だと10年間も行き来をしたそうです。
これらの風習からは、前述した結婚と労働力の関係や「嫁は結婚後すぐに嫁ぎ先で暮らすもの」という考え方が必ずしも全国的なものではなかったことがうかがえます。
2月、博物館では結婚にまつわるミニ展示を予定しています。ぜひご来館ください。
問合せ:市博物館
【電話】23-6421
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