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おしえて博物館-六十七-

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福島県南相馬市

『人呼んで“早道”七郎左衛門』

3月は春とはいうものの、まだまだ寒い時期です。そんな時期に適したスポーツとして、マラソンやランニングがありますが、江戸時代にマラソンランナーにも負けないくらいの走りの達人が、小高にいたことをご存知でしょうか。
その名は綿屋七郎左衛門(わたやしちろうざえもん)。若い頃からよく走り、歩くスピードも速く、例えばお腹に笠(かさ)を当てて歩いても、スピードの風圧で笠がお腹から落ちなかったとか。そんなことから地元ではちょっとした有名人で、別名“早道”七郎左衛門と呼ばれたそうです。江戸時代末期~明治時代初期に編纂(へんさん)された相馬地方の地誌『奥相志』には、そんな彼のエピソードが載っています。
ある日のこと、七郎左衛門の母親が急に「奈良漬が食べたい」と言うので、彼は小高の町中を探し回りました。しかし残念ながら品切れ。北上して原町まで行っても無く、さらに中村(相馬市)まで行ってようやく奈良漬を手に入れ、小高の自宅に帰ってきたのですが、彼は卯(う)の刻(6時頃)に家を出発して巳(み)の刻(10時ごろ)に帰宅したそうです。
ということは、小高から中村の往復約64キロメートルを4時間くらいで走り抜いたことになります。単純計算すると彼のスピードは時速約16キロです。マラソン男子の世界記録が2時間35秒(ケニアのケルビン・キプタム選手)で、時速約21キロですから、トップランナーに比べれば遅いかもしれません。
しかし、七郎左衛門は好記録を生み出すようなランニングシューズではなく、草鞋(わらじ)履きでしょうし、さらに町々で奈良漬を探しながらですから、実際の時速はもっと速かったのではないでしょうか。
しかも彼は、フルマラソン以上を走った直後にも関わらず、家に帰ってきて何事もなかったように、平気な顔をして朝ご飯を食べていたそうです…恐るべし七郎左衛門。

問合せ:市博物館
【電話】23-6421

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