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自治体の皆さまへ

記録として次の世代へ ふるさと絆通信 第115号ずっとふるさと。双葉町。

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福島県双葉町

■双葉町を忘れない
平成23年3月11日に発生した東日本大震災、そして東京電力福島第一原子力発電所の事故により、私たち双葉町民はふるさと双葉町を離れ、今もなお全国に分かれて避難生活を送っています。
先の見えない不安な生活の中で、町民の皆さんが毎日をどのような思いで過ごし、ふるさと双葉町への思いを抱き続けているのかを、皆さんの声をお聴きしながら「ふるさと絆通信」として連載しています。
そして「ふるさと絆通信」を通して、皆さんの双葉町への思いと心の絆がより一層深まることを期待いたします。

■「ふるさと絆通信」であなたの想いを伝えてみませんか。
ふるさと絆通信では、避難されている皆さんへ想いを伝えていただける方を募集しています。
避難生活での活動や日々の生活の中で感じていること、ふるさと双葉町への想いをこのコーナーでお話ください。双葉町民の方ならどなたでも結構ですので、ご連絡をお待ちしています。
株式会社鹿島印刷所(南相馬市)の記者が町民の皆さんの避難先を訪問し、インタビュー取材をさせていただきます。
掲載する文章は、その内容をもとに記者が作成しますので、インタビューをお受けいただいた方が文章を作成する必要はありません。

問い合わせ先:秘書広報課
【電話】0240-33-0125

■山根 麻衣子(やまねまいこ)さん
居住先:双葉郡双葉町(横浜市出身)

▽きっかけは「被災地ボランティア」
社会人になってから接客業などに就いていましたが、かねてより社会貢献活動には関心がありました。東日本大震災の発生を機にそれまでの仕事を辞め、横浜市にある地域情報の発信等を行うNPO法人で働く傍ら、三陸各地でボランティア活動に参加しました。
首都圏と被災地を往復する中、一歩踏み込んだ活動をしたいと思い、復興支援員の派遣を行う社団法人の職員となり、当初はその募集等の業務を行っていました。任期開始直前に急な欠員が出たため、東北での活動を志願していた私自身が双葉町の支援員となり、2014年秋、福島県での生活が始まりました。

▽現実と向き合うことの厳しさに触れ
当時はまだ町のほぼ全域が帰還困難区域で、町民の方からは「30年は戻れない」という言葉が聞かれるなど、先の見えない厳しい現実をどう受け止めればいいのか自問自答の日々でした。しかし、双葉町を含めた原発事故被災地とかかわりを持ち続けたいと考え、支援員の任期満了後、震災業務を専門に行う福島県職員となり、避難者と避難先地域住民の交流促進などにあたりました。
また、ボランティアで「いわき経済新聞」の編集長を務め、地域を分断しないで人々を繋ぎたいという願いを込め、いわき市だけでなく双葉郡を含めた広域的な情報を取り上げるよう心がけました。

▽情報発信の必要性
復興支援員などの活動を通して、福島県外から見た県内のイメージは「震災直後あるいはその数年で止まっている状態」にあると強く感じました。東京を中心とした中央のマスコミから発信される「復興」とは違い、人々や地域がそれぞれに歩み始めた故郷での暮らし、自身の思いや生業を守るための「地続きな日常」について、私自身、その土地に住む者の一人として伝えていくため、県職員の任期を終えた2019年、双葉郡に転居し、屋号「クロスブリッジ」を掲げ、インターネットから新聞や雑誌など様々なメディアに地域情報を発信するローカルライターとしての仕事を中心に据えました。

▽自分から住んで「見せます・伝えます」
活動の中心を双葉郡に移して以降、復旧・復興が前に進む瞬間に立ち会うことができました。特に、JR常磐線の再開通や特定復興再生拠点区域の避難指示の解除では、復興支援員のときに避難先で接した町民と双葉町で再会したことで、自分も「住民の一人」としてこの地域について情報発信をしたいと腹を据え、今年春から駅西住宅での生活を始めました。
双葉町で人々が再び生活できるようになって約1年になろうとしています。ここで暮らす人たちは、「無いもの」が多いことを覚悟の上で生活しているように感じます。私自身も生活しながら、日々進んでいく、変化していく町を体感していきたいと思います。

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