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双葉町はたちを祝う会(1)

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福島県双葉町

1月6日、双葉町役場において令和6年双葉町はたちを祝う会が挙行されました。今年は、53人が満20歳を迎え、全国各地の避難先から9人が出席しました。
浦和フィルハーモニー管弦楽団のオープニング演奏「愛の挨拶」から始まり、コーラスふたばの皆さんによる国歌、町民の歌斉唱と続きました。
伊澤史朗町長は「町内の小学校に通った最後の児童である皆さんが、立派に成長した姿を見ることができ感無量です。一昨年の特定復興再生拠点区域の避難指示解除により、全町避難から帰還へと大きく動き出した双葉町には、課題が多くあり皆さんの熱い情熱と若いエネルギーを必要としています。今後も双葉町のまちづくりに積極的に参加していただき、自然豊かで歴史・文化の薫る「ふるさと双葉町」の再生に向けて大きな推進力となることを期待しています」と式辞を述べました。
続いて、高萩文孝町議会副議長、橋本徹県議会議員、佐々木恵寿県議会議員より祝辞をいただき、伊澤町長より代表者の橋本葵さんに町からの記念品を贈呈しました。
また、町と郡山女子短期大学、環境省および町内立地企業であるフレックスジャパン株式会社の4者で取り組む双葉町「環境再生」デザインプロジェクトにより、制作された記念品の贈呈が行われ、天野莉佳さんが受け取りました。記念品は、小学校に残された鼓笛隊の衣装やカーテンの生地によるコースターとフォトフレーム、そして10年後の自分に向けたメッセージカードを入れるための布封筒です。
最後に、はたちを祝う会実行委員長の志賀弘崇さんが「町への思いを胸に次の世代として行動を起こすことが、私たちの責任であり、私たちにしかできないことだと考えています」とあいさつしました。
会には、恩師の齋藤明美先生(南小)、門馬千玲先生(北小)と英語指導助手のフィリップ・ジェリーマン先生も参加し、終了後に参加者と記念撮影などをして小学生の頃を懐かしんでいました。

■20歳の皆さんの生まれた年(平成15年4月2日~平成16年4月1日)
(出来事)
・新型肺炎SARSの感染拡大
・阪神タイガースが18年ぶりにリーグ優勝
・自衛隊のイラク派遣が決定
(ヒット曲)
・SMAP「世界に一つだけの花」
(流行・流行語)
・なんでだろう~
・マニフェスト

■はたちの夢・希望

▽『将来の夢』
脇坂 南帆さん(長塚一)
私の将来の夢は、システムエンジニアになることです。
私は今、コンピュータ系の専門学校でプログラミングやシステムの開発について学んでいます。2年間で学ぶことが多く、資格取得を目指しているため大変ですが、友人と一緒に学習に取り組んだり、時には息抜きで遊びに出かけたりと毎日充実しています。
私は学生生活を送る中で、これまで学んできた情報技術を活かして、様々な人のニーズに応じたシステムを開発し提供することで、世の中の役に立つことができたらいいなと考えました。
そのような強い思いがあったからか、就職活動が成功し、今年の4月からはIT企業への就職が決まり、さらに一人暮らしが始まります。生まれてからずっと福島で家族と一緒に過ごしてきたので、家族と離れて生活することに不安や寂しさもありますが、新たな環境に少しずつ慣れていきながら夢に向かって頑張っていきたいです。

▽『二十歳を迎えて』
守家 偲音さん(鴻草)
震災当時は小学1年生だった私は何も知識が無いまま、双葉町から避難をした事がいまだに印象に残っています。
慣れない生活や馴染めない学校、色々な事がありました。そんな中でも、一番印象に残っているのは、避難生活をしてから初めて双葉北小学校に行った時です。教室の中は震災が起きた時と変わらず時間が止まっており、昔は大きく感じた机や椅子はとても小さく、教室にあった写真などを見ると、懐かしさや自分の成長に驚かされたのを覚えています。
時が経つのも早く高校を卒業して、会社員として働いています。
2年目になりやっと、仕事にも慣れてきていますが、まだまだ失敗する事が多くあります。なので、社会に貢献できるよう、失敗をなくしていきたいと思います。
そして、今まで育ててくれた、母や父に親孝行をし、私たちに支援をしてくださった方々へ感謝の気持ちを忘れず、良い社会人として生きていきたいです。

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