■おめでとう 国を見晴るかす町ー記念式典式辞(2)ー
第2次世界大戦後の民主化の浸透、国政、地方政治の改革の下、昭和25年には藤田町、小坂村、森江野村による組合立中学校が、昭和27年には藤田町ほか1町6村による組合立藤田病院が設けられたことから、昭和の市町村合併のモデル地区とまで称されました。そして昭和29年3月31日、福島県下に先駆けて、藤田町、小坂村、森江野村、大木戸村、大枝村が合併、同年7月に東大枝地区が梁川町に編入され、現在の国見町が誕生しました。初代半澤殷保さん、続く赤井畑直衛さん、関口道孝さん、佐藤善右エ門さん、菊地政治さん、冨永武夫さん、佐藤力さん、太田久雄さんと先達の国見町長たちは、その時々の課題に直面しながらも、国見町の伸長、発展、町民主体の福祉の充実のため、果敢な町政にまい進されてきました。国見町が誕生して50年が経過する頃に持ち上がった平成の市町村合併論議の際には、町民自らが自律の町を目指す決断をしたことは、国見町民の誇り、意気の表出でもありました。
私たちは、第6次国見町総合計画と国見町過疎地域持続的発展計画に基づき、今この国見町に暮らす一人ひとり、そしてこれからこの町で暮らそうとする一人ひとりの思いを大事にしながら、これからの100年を見据えて、この地に暮らした先達たちの思いに、今の私たちの願いを加えた持続可能な国見町を創ろうと思います。そのために、協議し、熟慮し、決断し、実行することを決意します。
町村合併70年を町民はじめ、国見町を応援してくださる皆さんとお祝いできることに感謝するとともに、国見町の一層の飛躍、そして全ての皆さんの幸せを祈り、式辞とします。
引地真
<この記事についてアンケートにご協力ください。>