ー花たちのおいたちー(6)
箱崎美義著
(5)つづき
■世界中に広まった、あじさいの花
あじさいの原産国は、主として日本の山野であるが、一部は温帯アジアやアメリカなどにも見られている。日本生れの、あじさいがヨーロッパに初めて渡ったのは、1790年、江戸時代中期頃、ジョセフ・バンタ(国名不明)という人が日本から中国に持ち渡った。この、あじさいを中国から持ち帰ってロンドンの世界的有名なキューガーデンに植えたのがはじめてといわれ、これを世界中に広めたのはシーボルトである。日本の動植物や人類学を世界に紹介したドイツ人、医師であるシーボルトは、文政6年、1823年にオランダ商館付きの医官として長崎に着任し、出島(長崎市南部)のオランダ屋敷に住んで近くの鳴滝塾で治療に当たっていたが、異境の日本の地に一人住む身のあじけなさに、長崎丸山の遊郭に遊び、そこの遊女の楠本滝と熱い恋仲となった。オランダに帰国後、シーボルトは、日本で初めて見たあじさいとその花姿に、お滝の風精をしのばせて、母国で出版した「日本植物誌」にあじさいの学名としてHydrangea(ハイドランドア) Macrophylla(マクロフィア) Soringe(ソリング) var Otaksa(オタクサ)という名を与えた。最後のオタクサは、恐らく、お滝さんの名がつけられたもので、彼には、忘れられない人であったにちがいという。
最近になって鉢植え、あじさいが花屋さんなどで多く見られるようになったが、このあじさいは花は色が変ることなくヨーロッパなどで育種改良されたものである。シーボルトが日本からヨーロッパに最初に持ち込まれたあじさいがそのもととなっている。梅雨時の花として古くから愛されきているが、この材は、とても堅く、緻密で強靭なので、小楊子、木釘、寄木細工などに用いられている。花は、解熱薬、葉は瘧(おこり)の間欠熱、マラリア熱などの治療薬として用いる。花ことばは、「変り易い心」である。
■にんじん(胡蘿蔔)
人参を人参に洗ひあけ 古沢太穂
人参を嫌ひと言へぬ母の目よ 横山三葉
夕されば光こまかにふりこぼす人参の肌もあはれなりけり 北原白秋
■にんじんの生れ育ち
にんじんは、セリ科の2年草で、紀元3世紀ごろ、古墳時代頃、アフガニスタンなどの山野に自生していたのが世界で初めて発見された。
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