広野町長 遠藤智
東日本大震災並びに原子力災害から13年半が経過しました。この大震災により、今日に至るまで尊い命を亡くされました直接死と震災関連死を併せた49名の方々のご冥福をお祈りし、被災された全ての皆様に心よりお見舞い申し上げます。
これまで、町民の皆様の懸命なご努力と国内外からの温かいご支援により、全町避難を余儀なくされてから、町民一人ひとりが納得して帰還する“Early Return to Happy Return”「幸せな帰町」、尊厳ある帰還・移住を捉え、除染による環境回復、放射線による健康不安の払拭、災害に強いまちづくりを念頭としたインフラの復旧・整備、商業施設や医療福祉施設の整備、広野こども園、ふたば未来学園中高一貫校を始めとする教育環境の体制整備等、生活環境を一つひとつ確立し、9割の帰還を成し得て、廃炉・復興関係事業者や県内外の他市町村からの移住者を受け入れ、約6、000人の新たな時代の防災に強い〝安心・安全な共生のまちづくり〟に取り組んでまいりました。
復興の拠点として定めた広野駅東側開発整備事業は、産業団地のほか47戸の住宅団地を整備し、国からご支援いただき町が進める移住定住者の受け皿とすべく取り組んでいます。町の玄関口というべきJR広野駅においては、常磐線を東西に渡る自由通路「未来の架け橋」と駅構内の跨線橋にエレベーター設置し、バリアフリー化に取り組むことで駅利用者の利便性を向上させました。今後、老朽化した駅舎を改修し、JRが設置する新たな駅舎と町が設置する防災機能を備えたコミュニティ施設を合築させた「新たな広野駅」を整備いたします。また、広野駅西側の利便性向上に向け、歩車道を分離、利用者の安全を考慮した駅前ロータリーを整備することで、町の魅力向上、新しいランドマークとして整備してまいります。
教育環境の充実に向けては、幼保連携型認定こども園「ひろぱーく」の開園、ふたば未来学園中学校・高等学校の新校舎が開校し、教育の丘が形成され、約1、000名が日々勉学に励んでおります。こども園における「言葉の教育」、東日本国際大学留学生と異文化交流を行う「グローバルデイ」、広野町における童謡、歴史・文化の継承やシネリテラシー
を取り入れた「ふるさと創造学」など、独自性を持った教育(学ぶ場、アイデンティティ探求の場)を提供しています。令和3年度よりJFAアカデミー福島が広野町において再開し、アカデミー生の地域住民との交流を目的としたホストファミリー制度を行うなど、受け入れ体制の充実に取り組んでいます。福島イノベーション・コースト構想に基づく福島国際研究教育機構(FーREI)の展望において、協定を締結する東京大学アイソトープ総合センター、東日本国際大学、純真学園大学、早稲田大学環境総合研究センター、福島工業高等専門学校との取り組みを充実・発展させ、福島復興に取り組んでまいります。
地域福祉の推進に向けては、平成31年1月の「福祉のまちづくり」宣言を踏まえ、地域が抱えている医療・介護・福祉の様々な課題に対し、迅速かつ適切に対応するため、包括的な地域連携を図る「広野町地域包括ケアシステム」を確立するとともに、健康増進事業を積極的に展開し、地域の人々が相互に連携・協働しながら健康づくりの輪を広げ、「日本一元気あふれるまち」の実現に取り組んでまいります。
広野火力発電所が立地する町として、広野火力発電所と令和3年に運転を開始した広野IGCCとの未来に向けての共生を展望した脱カーボンを掲げ、脱炭素技術の開発促進、経済的な合理性、国等の政策との整合性を踏まえ、再生可能エネルギーを推進していきます。令和3年3月のゼロカーボンシティ宣言を踏まえ、脱炭素社会の実現を目指すと共に、福島国際研究教育機構(FーREI)を起爆剤に工業団地や産業団地への企業誘致から雇用を呼び込み持続可能な地域づくりに邁進してまいります。
地震、津波、原子力発電所事故という世界でも類を見ない未曾有の複合災害を被り、先の見えない避難生活の日々から幾多の苦難を乗り越え、被災地に帰還を成し得た町として、これまでいただいたご支援・ご厚情に感謝の念を忘れることなく、ふる里での生活を取り戻したこれまでの軌跡を風化させることなく後世に継承してまいります。
被災地復興の展望に向けて、東日本大震災から13年半が経過し、「広野町復興創生の日」を迎えるにあたり、復旧から再生、第二期復興創生期間を刻み、復興・創生へと希望に満ちた未来創造に邁進し、医療福祉、教育の充実、自治体DXの推進、地域経済の更なる発展、福島国際研究教育機構(FーREI)と町と協定締結にある学術研究機関と連動した復興人材の育成、そして新たな展望、原子力事故からの新たな時代の防災に強い〝安心・安全な共生のまちづくり〟に力強く取り組んでまいります。
令和6年9月30日
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