■水神沼の大蛇
磯浜に水神沼(日陰沼※1とも呼ばれる)というおっきな沼があっぺ。
あの水神沼と菅沢の沼は地中の隧(ずい)道(どう)※2で繋がっているんだと。
昔々、水神沼には大蛇が住んで居たんだと。
春のお彼岸になると隧道を通って、菅沢の沼に行き、菅沢の沼から鹿狼山を通って空高く舞い上がり、龍となって雷を起こし、雨を降らせて稲を育ててくれるんだと。
秋の彼岸になると今度は地上に戻って、鹿狼山から菅沢の沼を通って、再び水神沼に戻り水底深く潜って冬越しをするんだったと。
ある年の土用の暑い日。大森山から三十匹あまりの猿たち、暑さに耐えかねて水神沼に水浴びに出かけたと。皆して水を浴びたり、松の木に登ったりして遊んでいたったと。ところが運悪く水神沼の大蛇もまた、暑さしのぎに松の木の上で昼寝をしていたったと。あたりがキャッキャ、キャッキャとうるさいもんだから目を覚まして見たれば、大勢の猿たちが水浴びをしながら騒いでいるんだと。
「せづねごだ。せっかく昼寝をしていたのに邪魔されてしまった。」
怒った大蛇はそばに子猿を三匹捕まえてひと飲みしちまった。今度はそれを見ていた親猿たちが騒ぎ出したと。
「よくもおらん家の子猿を食い殺したな。」
「おらん家の子猿を返せ。」
「返せ、返せー、子供を返せー」
我が子を殺された親猿たち、ごしゃいで※3、我が命も顧みずに、大蛇に飛びついたと。
ところが、相手は大蛇だもの、猿なんぞ相手にもならねがった。一匹では負けてしまうと思った猿達、皆で、ひと塊になって蛇と戦ったと。さしもの大蛇も多勢に無勢。想像を絶する死闘が繰り広げられたと。蛇の喉元には「逆鱗(げきりん)」という逆さについた鱗があるんだと。一匹の猿が逆鱗に噛み付いたと。とたんに、空は一転して掻き曇り、雷鳴がとどろき、天地が傾くほどの大雨が降ってきたと。稲光がしたと思ったら、どどど~んという大きな音ともに雷が落ちて、大蛇も猿達も雷に打たれて死んでしまったと。
沼は大蛇と猿の血で真っ赤に染まり、浜まで流れ下ったと。それでこの川を「赤川」と呼ぶようになったと。大蛇の死骸は浜の方まで流されたと。たたりを恐れて浜の人たちが供養して祀ったのが今「蛇塚」と呼ばれている所なんだと。
※1 日陰沼 山元町役場農林水産課に問い合わせたところ、奥州日陰沼と呼称されていたことが判りました。
※2 隧道 トンネルのこと
※3 ごしゃぐ 怒る
新地語ってみっ会では、語り部による昔話や紙芝居など毎月第3土曜日13時30分から二羽渡神社南、おがわ観海堂(小野俊雄宅離れ)にて参加費無料で、公開しています。興味のある方はぜひご参加ください。
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