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昭和村史料探訪記 vol.41

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福島県昭和村

地域おこし協力隊 松尾 悠亮

◆昭和村医学史料の紹介:下中津川医師本名俊甫について(1)
下中津川で活躍した本名俊甫という医師に関する史料を、今回から数回にわたり紹介します。
1. 本名俊甫のプロフィール
『昭和村の歴史』118頁には次のように書かれています。
本名俊之助、下中津川の人。享和2年(1802)10月26日生れ、明治26年(1893)2月6日歿、92才。修道、信助、俊甫と名のる。
下中津川村名主を40年勤め、村内の風俗善導につとめ、大谷組間方村名主も12年間兼務する。傍ら若松で修得した医業に励んで仁術を施し、冬期は塾を開いて村民を教育した。村人は殿林という山林五町歩を贈り、感謝の意を後世まで示した。

2.本名俊之助改名願:「口上之覚」(画像、個人蔵)について
次に紹介する古文書は、俊之助から俊甫へ改名するにあたり、師の宇津野松甫が「御蔵入御役場」に宛て出した願書の控えです(一紙、折紙)。
この文書から、本名俊之助(俊甫)は、文政6年(1823)、21歳で医学の勉強をはじめたことが分かります。先師(最初に就いた師)の病死後に、宇津野松甫に就いて医学を修めました。松浦について詳細は不明ですが、会津藩の御用医師に宇津野の名字がみられるので、その関係者かと思われます。
願いが出された辰年について。俊之助が医学を学びはじめた文政6年以降、亡くなる明治26年までの辰年は、天保3(1832)・天保15(1844、弘化元)・安政3(1856)・慶応4(1868、明治元)・明治13年(1880)・明治25(1892)年の計6回です。「名主俊之助」の名前が出てくる文久元年の文書(年貢の支払い関係)が残っていること、「本名俊甫」の名前で明治12年(1879)に書かれた死亡診断書書上控が残っていること、この2点からここでの「辰年」は慶応4年(明治元年)だと推定できます。
明治に移り変わる丁度境目に改名し、新しい時代を医師として生きていきました(続)。
(注)以下史料は、古文書勉強会(昭和村教育委員会主催)で読んだ史料です。解読にあたり、小林盛雄さんや受講生の皆様からご助言をいただきました。

〔翻刻〕

〔現代語訳〕
 私の門人南山御蔵入中津川村の本名俊之助につきまして、文政六年から医学を勉強していましたが、先師(以前の先生)が病死した後は私の門人になって修業しておりました。その際、俊甫という医名(医者としての名前)を与えましたが、村役人としての仕事を(俊之助は)勤めないといけないので(名前は)そのままにしていました。この度(俊之助は)村役人を退役することになりましたので、俊甫と改名させたく思います。当人には医術修業として医学の極みを見出させたく(修行させ)、年切の上、医術もやっと上達しましたので(御役場から俊之助へ)俊甫と改名仰せつけられたく思います。以上。
※画像など詳しくは本紙をご覧ください。

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