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昭和村史料探訪記 vol.43

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福島県昭和村

地域おこし協力隊 松尾 悠亮

◆昭和村医学史料の紹介(3) 明治時代の薬の調合
4・5月と2か月にわたり、幕末・明治期に下中津川で活躍した本名俊甫という医師に関わる昔の記録をご紹介してきました。
今回は、医師本名俊甫に関わる史料の中から、薬の調合のことが分かる史料をご紹介します。現在、医師・薬剤師でそれぞれ分業されていますが、昔は医師が診察・治療と一緒に薬の処方まで行うことがありました。坂下町から漢方薬の材料となる薬種を入手していたことが分かる通帳や、漢方薬の処方・調合のことが分かる記録が残っています。

1.御薬種通(やくしゅかよい)(明治22年2月、下中津川個人蔵、横帳)
「薬種」とは、漢方薬の材料。「通」とはツケのことで、河沼郡坂下町廣木彦四郎から大沼郡下中津川村本名俊甫にあてられた通帳(ツケの記録)です。
明治22年(1889)当時、本名俊甫は患者へ薬の処方まで行っていて、その材料となる薬種は坂下町から仕入れていたようです。薬種はいちいち購入していたのではなく、ツケにしてまとめて購入していました。山婦来、忍冬、陳皮、山参…等々、様々な薬種が書かれています。

2.病状に応じた漢方薬と材料のマニュアル(年次不詳、下中津川個人蔵、竪帳)
俊甫は坂下町から取り寄せた生薬で漢方薬を調合しました。患者へ薬を調合する時に使ったマニュアルと考えられる冊子が残っています。
本誌掲載の画像部分には、中寒(寒さによる体の不調)と感冒(かぜ)の患者へ調合する漢方薬とその材料についてです。その漢方薬の材料となる薬種が列記されているところがあります。
中寒へは、附子理中湯(ぶしりちゅうとう)、人附湯あるいは姜附湯、五積散(ごしゃくさん)あるいは加附子(かぶし)が漢方薬として書かれています。感冒へは、発散湯、葛根湯(かっこんとう)、柴桂湯、桂麻各半湯(けいまかくはんとう)、補中益気(ほちゅうえっき)(湯)、八物湯陳、八解散(はちげさん)等が挙げられています。
今回、紹介した史料は、幕末・明治期における医師の昭和村地域における診療活動の一端が分かる大変貴重な記録です。(続)

(※詳しくは本紙をご覧ください。)

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