菅家 博昭(大岐)
◆昭和10年の政府の苧麻奨励
富山県の近代化におけるカラムシ繊維の扱いについてこれまで数回紹介してきた。このたび、本村役場からむし振興係の根本氏より同時期の日本政府の苧麻(からむし)奨励策の資料を数点紹介され読んだ。
富国のための機械化を前提としてそれに向く繊維の開発や奨励をしていることが理解できる。軍国化を勧めるなかでの必要不可欠な繊維素材が苧麻であった。
我が国、特に昭和村(江戸時代の野尻組)の手による繊維とりだし(製繊)ということは全くことなるものである。しかし大きな政策が実施されていたことは知っておいてよい。
『昭和10年3月 農事改良資料第101 苧麻』(農林省農務局)
緒言に、「各種軍用被服、天幕、帆布、飛行機翼布、雑嚢地、紐帯、素綱等各種麻製軍需品の需要は極めて多額に上り之が原料は主として亜麻または大麻を原料としたのであるが、亜麻は近年栽培地減少し加之価格の変動著しく大麻亦価格布廉にして共に適当なる軍需材料と云ふ事が出来ない」
「近年軍部に於て研究の結果之等はある程度苧麻を持って代用し得ることを確め既に一部は苧麻を原料としたる製品が使用せられて居る。将来益々増加すべき軍需材料として苧麻の国内生産をはかり原料の自給を確立するは最必要なることがらである」
5頁「明治維新後廃藩置県となり、服制の変遷と安価な綿布の生産増加とにより逐年衰頽に傾き、明治40年には全国を通じ千八百予町歩、大正3年には僅かに四百四十五町歩に減少してきたのであるが、一方我が国近代工業たる製麻業は近年長足の進歩発展をなし、之が原料たる苧麻の消費高は逐年増加し、昭和8年度に於ける苧麻消費高は実に四千万斤を突破しその金額は実に一千万円を超へ、対外貿易上看過する事のできない重要品となっているのである」
「政府は国内に於ける苧麻栽培の再興を企図し、農商務省は大正元年以降三ヶ年間 宮崎県農会に対し補助金を付して、苧麻の栽培並びに繊維製造に関する試験研究を行はしめ、さらに大正6年度からは栃木県農事試験場に対し多額の補助金を交付して徹底的に之が研究を行はしめた結果、大正12年に至り優良品種の選択と之が機械剥皮法とに成功し従来我が国は勿論諸外国でも苦心を重ねて成就しなかった苧麻栽培業が極めて有利に行はるる事が示されたので、農林省は種苗の配布及び剥皮機購入補助等を行ひ、極力本事業の助成に努むる事となり、昭和4年度から之に要する経費予算が計上され、さらに昭和9年度より経費を増額し適地にその栽培を奨励し苧麻繊維の国内自給を図り以て輸入防辺の完成を期することとなったのである」(6頁)
62頁では栽培した苧麻の納品(販売)先は以下のように記載されている。日本国内に4カ所の工場があり、富山がある。そして台湾である。
・帝国製麻(株)(東京日本橋室町)の栃木県鹿沼製品工場
・東京麻糸紡績(株)(日本橋本町)の静岡県沼津工場
・東洋麻糸紡績(株)(東京丸ノ内)の広島県三原工場
・第一ラミー紡績(株)(富山市清水町)の清水工場
・日華紡織(株)(中国上海)の台湾台北市外大安の同社工場
※詳しくは本紙をご覧ください。
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