■「日本人はよく泣いた!」
「職場で泣いてはダメですか」という記事が目にとまった。『心の病を発症する人が増えている。欧米では家庭関連が多いのに対し、日本では職場の業務や人間関係など仕事関連が多い。「職場で泣くのはダメ」という暗黙のルールは「男は弱音を吐くものではない」という考え方が反映しているから』というもの。
だが歴史を遡(さかのぼ)ると実相はかなり違う。太平洋戦争直前。民俗学の権威、柳田国男(やなぎたくにお)は『涕泣史談(ていきゅうしだん)』を著した。この中で『古来日本人は非常によく泣いた民族だったが、最近の日本人はあまり泣かなくなったようだ』と記す。それは教育レベルがあがり、ラジオの影響等もあり、言葉を使う能力が向上し、言葉で感情表現ができるようになったからとみている。
だが一方で、泣かなくなったことを寂しがっている。人には言葉では言い尽くせない万感の思いや、深い悲哀がある。それを言葉にすると上滑りしてしまう。うまく言えば言うほど誠が消えていく。そこで、泣くという身体的表現で伝えようとしてきた。日本人は、泣くことを〝洗練された文化〟として育んできた。
その昔、男は実によく泣いた。須佐之男(すさのお)も菅原道真も光源氏も。源義経も〝近松〟浄瑠璃の茂兵衛(もへえ)も。山岡鉄舟も〝金色夜叉〟の貫一も泣いた。義経は吉野で、安宅(あたか)の関で、奥州で泣いた。泣いてヒーローになったとさえ言われる。日本人は泣くべき時に、心から泣くことを美徳としてきた。だが、ひたすら近代化の道を歩むにつれ泣かなくなった。
柳田が最近と言ったのは、五十年から百年前のこと。丁度、維新から大戦の時期と重なる。いささか背伸びし富国強兵に突き進んだ時代。論文は〝一億総火の玉〟と、国民がある種のヒステリー状態の時期に書かれた。男は勇ましい兵士として、女は銃後の守りとして国に尽くす。泣くことなど許されなかった。
戦後は?焦土と化した日本は豊かさを求めてひた走る。兵士から経済戦士へ。明るく元気に経済戦争へ従事する。泣くことは忌避された。英語に「男泣き」という言葉はない。米国では、人前で泣くと社会的信用がガタ落ちになる。
個人より組織の論理を優先する働き方に加え、米国流の価値観が社会に浸透し、男は泣けなくなった。連動するように、女も子供も心にわだかまる様々な思いを抑制するようになった。誰もが元気印の仮面をかぶって生きている。果たしてこれが健全な社会と言えるのだろうか?
笑いには免疫力を高めるほか多くの効用がある。だが周りには、軽薄な笑いや、ユーモアにはほど遠い冗談が氾濫している。明るさや笑いが過剰に求められている。米国である実験が行われた。何人かに人生で最も悲しかったこと、辛(つら)かったことを回想してもらう。やがてポロポロ涙をこぼし始める。すると細胞が活性化し、治癒力が劇的に高まったという。
人は言葉にならない悲しみにじっと浸ることによっても、命が蘇よみがえってくる。ユーモア文学の大家マーク・トウェインは「ユーモアの源泉は哀愁である」と言う。真の悲しみから真のユーモアが生まれる。笑うことと泣くことは背中合わせ。辛さ悲しさを心の中に沈潜できる人だけが、真の希望をつかめる。夜の闇の深さを知る者だけが、暁(あかつき)の光に感動する。
日本列島は湿度が高い。乾いた空気と砂漠の大陸とは全く違う。この中で湿り気の多い人間関係や社会が作られ、独自の文化や風土が生まれた。にもかかわらず我々は、欧米流の乾いた人間関係と合理的な社会を追い求めてきた。
その結果余りに乾き、潤いのない社会になった。笑いの信仰が世を覆う中で、泣くことは疎(うと)まれてきた。しかし悲しい時には身をよじって泣き、さめざめと泣く。誰もが素直な感情を出し、普通に〝泣ける〟社会を取り戻せないものだろうか。
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