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市長の手控え帖

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福島県白河市

■「激しく燃えた女性運動家」
男女共同参画社会、男女雇用機会均等、女性活躍社会。今や女性の地位向上を図り、家事育児の負担を軽減することは社会の大きな課題となっている。明治末以降、女性の解放に挺身(ていしん)してきた人たちがいる。「元始、女性は実に太陽であった」の『青鞜(せいとう)』を創刊した平塚(ひらつか)らいてう。神近市子(かみちかいちこ)、宮本百合子(みやもとゆりこ)、加藤(かとう)シヅエ、市川房枝(いちかわふさえ)…。思想に違いはあるが、言論や大衆運動を通して実現しようとしてきた。
異彩を放つのは伊藤野枝(いとうのえ)。関東大震災直後、アナキスト大杉栄(おおすぎさかえ)(38歳)と彼の甥(おい)(6歳)と共に憲兵隊に殺害された。まだ28歳だった。彼女の生き方は激しい。因習打破を唱え、社会道徳や結婚制度を否定。身勝手でわがまま。周りに迷惑をかけても意に介しない。厄介な人だ。
野枝は1895年、福岡県の玄界灘(げんかいなだ)に面した村に生まれる。父は根っからの遊び人。母の稼ぎでやっと暮らしを立てる。東京の叔父を頼り猛勉強の末、上野高等女学校4年に編入学。ここに辻潤(つじじゅん)という英語教師が赴任する。辻は才能ある野枝をかわいがる。だが故郷では縁談が進み入籍させられる。もう夜逃げしかない!
何と理不尽な。女はこうあるべきなんて知ったことか。行き先なんて分からなくてもいい。暗闇に向かってひたすら走れ!野枝の激情は辻に向かう。辻は不道徳者として失職。27歳だった。辻は既成の秩序や常識を否定するニヒリスト。以後、翻訳したり、英語や尺八を教えたり、フリーランスとして生きる。
野枝は辻の勧めで青鞜社に入る。青鞜は、欧米のフェミニズムの影響を受けたインテリ女性たちが創刊。新しい女を目指す青鞜への風当りは強い。だが野枝は猛然と反論。筆は未熟だがまっすぐで力強い。女性を縛る因習の打破を訴える。
「因習に生きている両親たちの目からは、常軌を逸した危険極まる道を平気で行く気違いとしか見えないだろう…すべての迫害、圧迫におじて、おどおどした不安な、なまぬるい生を送るより、刹那も強く弾力ある激しい生き方を望ましいと思う」17歳の覚悟はすさまじい。
男子が生まれる。辻は面倒をみない。野枝は子供を背負い必死に働く。ある日大杉が訪ねてくる。無頼で不思議な魅力をたたえている。瞬時に恋の火花が散る。次男を産んだ後、大杉のもとに走る。辻は〝幸福におなりなさい〟と送り出した。辻も危険人物としてマークされ、終戦近く餓死した。野枝はふしだら、無節操と激しい非難を浴びる。同志も去っていく。
野枝は平塚から青鞜を引き継いだがほどなく廃刊。大杉に出版社から絶縁状が届く。本を出しても発禁処分。カネがない。野枝は泣く泣く次男を里子に出す。ここからさらに強くなる。〝もう失うものはない。吹けよあれよ、風よあらしよ〟叔父の友人が後藤新平(ごとうしんぺい)に近かった。
大杉は内務大臣に面談を申し込む〝内務省のせいでオレの本が発禁になった。カネをもらいにきた〟ポカンとする後藤。面白いと思ったのか、ポンと大金をくれた。5人の子が生まれる。育て、書いて、金策して。生命力に圧倒される。
大杉は常に尾行されている。本来、アナキズムは一切の抑圧を嫌い、何にも縛られない社会を目指すという考え方。労働者の国ソ連で一党が権力を独占したことにも反対した。だが国から見れば反逆者。ほどなく虐殺事件は明るみに出る。報告を受けた後藤は驚愕(きょうがく)し、すぐに調査を命じた。閣議であらましを話し、田中義一(たなかぎいち)陸軍大臣を激しく叱責した。
野枝は畳の上で死ねないことを覚悟していた。だが余りに痛ましい。亡くなる前「他人によって受ける幸福は絶対あてにならない。どれほど信じ、どれほど愛する人によって与えられる幸福にしても、それに甘えすがってはならない」と記す。驚くほどの自立心だ。大震災と野枝殺害の後、日本は坂道を転げ落ちていく。

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