■「民主主義を支えるために」
岸田(きしだ)首相は当初、成長より分配に重きを置くと述べた。安倍(あべ)政権も経済を成長させ、その恩恵が下まで及ぶ政策を掲げた。民主党政権も〝分厚い中間層をつくる〞ことを公約にした。いずれも〝失われた30年〞で社会の中核となる中間層がやせ細ってきたことを自覚していた。
1960〜80年代の日本は黄金期。経済成長で所得は伸び失業率は低かった。政治は安定し所得再分配を進めた。労働者は終身雇用と年功序列賃金に守られていた。冷戦で平和の配当を享受した日本は、勤勉さと旺盛な研究開発投資で、世界経済を主導するようになった。米価も年々上昇した。大企業や官公庁の管理職が中心となっていた中間層に、ブルーカラーや農業者も加わった。1975年の統計では、国民の8割近くが中流に属し〝一億総中流社会〞と呼ばれた。
地方では企業の相次ぐ進出で、安定した雇用の場が得られた。公共事業が増え地域に金が回った。国税が伸び地方交付税や各種補助金として配分された。経済成長は国民生活の向上をもたらし、日本は理想的な〝社会主義国〞となった。
バブルが弾け中流社会が崩れ始まる。余裕を失った企業は日本的経営を簡単に放棄し、米国流新自由主義を取り入れた。働き手は人材からコストへ。大量解雇に非正規社員の急増。企業は設備投資に及び腰。長期的な視点を持たず、目の前の株価の動向に一喜一憂する。米価も食管法の廃止と市場原理で下落する。
そこにグローバルと高齢化の波が押しよせる。所得、大企業と中小企業、大都市と地方。格差が鮮明になり、固定化していく。富裕層の子どもは高い教育を受けこの層に留まる。貧困層の子どもはここから抜け出せない。これが社会の分断を生み、政治の不安定化につながる。
中間層が重要なのは、民主主義の基礎になっているからである。民主主義はとかく時間がかかり厄介なもの。だがチャーチルが喝破(かっぱ)した通り、これに優る政体はない。〝衣食足りて礼節を知る〞。安定した職と収入があり、相応の分別を持ち、中庸(ちゅうよう)の精神を保つ者が資質ある指導者を選び、政策の良否を判断する。これが独裁を阻止することにもなる。
経済的観点からもこの層は、教育投資に力を入れる傾向にある。それが人的資本の蓄積になり、経済成長やイノベーションを生み出す原動力となる。中間層の衰退は、社会の安定は勿論、経済発展をも阻害することを忘れてはならない。
民主主義を危うくするもう一つの要因が中間団体の弱体化だ。中間団体は個人と国をつなぐ組織で、労働組合・農業協同組合・町内会・婦人会などをいう。顔が見え、憩い、助け合い、意見を述べ合える場である。人は誰でもどこかに属し生きている。だが近代化が進み社会が複雑になると、国家と市場の領域が拡大し、中間団体の機能は弱くなる。
労組の組織率はわずか16%。今やメーデーやストライキの意味すら分からない。雇用形態も、働く場所や時間も異なり、往時の連帯感はない。かつては高い組織率を誇り、賃上げや労働条件の改善に大きな力を発揮した。政治的影響力も持っていたが、今や見る影もない。
農家を守り農業発展のために作られた農協。昔は農家の身近な存在だった。その後合併につぐ合併で巨大化し、次第に遠くなった。疑似家族として、社員の福利厚生を担ってきた企業の姿はもうない。また、相互扶助的な役割を担ってきた地域共同体も、限りなく弱まっている。今は誰もが行き場を無くしている。帰属するものがないか、あっても希薄になっている。これが進むと、強い指導者にすがるようになる。先進国で独裁的政権が相次いでいるのは危険な兆候だ。私たちは、人々の居場所になり、支え合う中間団体を再生しなければならない。
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