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市長の手控え帖

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福島県白河市

■「明治の指導者のリアリズム」
1903年から翌年にかけ、日本は異常な緊張下にあった。ロシアが満州を支配下に治め、朝鮮を虎視眈々(こしたんたん)と狙う。日本は日清戦争に勝利し、朝鮮から清の影響力を排除した。朝鮮は日本の脇腹に突きつけられた刃。もしロシアが南下してきたら…。10年前、ロシアは独仏と共に日本が獲得した遼東(りょうとう)半島を放棄するよう圧力をかけてきた。泣く泣く呑(の)んだ。
交渉が始まる。相手はのらりくらり。尊大な態度で日本を侮辱する。もう限界。乾坤一擲(けんこんいってき)の勝負に出る。だが、ロシアとの国力の差は歴然。世界の見方も当然ロシアの勝ち。日本の指導者も勝算ありとは思っていない。元老伊藤博文(いとうふろぶみ)は反対した。しかしここに至っては是非もない。〝祖国防衛戦争〟と天皇に奏上した。
軍人だけで戦争はできない。清とは異なり桁違いの資金を要するが、果たしてこれを調達できるのか。また戦争は政治の延長。勝てないまでも引き分けに持ちこむ巧みな政治外交を行えるか。どの国にも弱点はある。ロシアの国内情況を把握し弱みを衝くことはできるのか。幸いにも各々の〝戦場〟で闘った勇者がいた。
戦費に20億(今の2兆6千億)を要した。日清戦の10倍、国家予算の7倍。日清は税と内国債で賄ったが、今回は外国債が命綱。だが引き受ける金融団を探すのは至難の業。使命を託されたのが、後に七度大蔵大臣を務めた高橋是清(たかはしこれきよ)。若い頃、米国で騙(だま)されて奴隷のように働かされたり、ペルーの鉱山事業で一文なしになったり。波乱万丈の生涯を送った。
すぐ米英に飛び細い糸をたぐる。ある銀行の重役はお雇い外国人として来日した折、是清が世話した人物だった。さらに、ユダヤ人を迫害するロシアに強く反発するユダヤ人銀行家が大口公債を買ってくれた。まさに天佑(てんゆう)。戦費の4割を確保できた。通称〝だるまさん〟の笑顔と、岩をも通す一念が重い扉を開けた。
伊藤はローズベルト米国大統領に講和の仲介を期待し、いち早く懐刀の金子堅太郎(かねこけんたろう)を派遣した。金子は若くして米国に渡り、ハーバード大で学ぶ。大統領と同窓で旧知の仲。だが世論は独立戦争で支援してくれたロシアに傾いている。これを日本支持に変えるのは容易でない。
全米各地で戦争の大義と〝一寸の虫にも五分の魂〟を訴えた。次第に親日へと世論が傾く。大統領も新渡戸稲造(にとべいなぞう)の『武士道』に共鳴していた。また極東進出を狙う米国には痛み分けが丁度良い。日本は日本海戦の勝利を機に仲介を要請した。
開戦前からロシアの動向を偵察していた。参謀本部は、在露駐在武官明石元二郎(あかしもとじろう)大佐に100万(今の400億)の機密費を与え、諜報(ちょうほう)活動を命じた。特に反政府勢力を強く支援した。フィンランドの独立派に資金や武器を提供。レーニンにも会い革命活動を煽(あお)った。足もとが揺らぐロシアは、満州へ増派できなかった。独皇帝は「明石一人で満州軍20万人に匹敵する戦果をあげている」と称(たた)えた。
戦争は辛勝だった。日本は兵も弾も尽きていた。温存されたロシア軍が南下したら勝ちはない。絶妙な時期での仲介に救われた。だがこれを国民に伝えなかった。維新の世代が去ると〝世界の一等国〟とうぬぼれ、夜郎自大(やろうじだい)の精神がはびこる。ここから悲惨な道へ堕おちていく。
漱石(そうせき)の『三四郎』。車中、帝大に進む若者が仙人ふうの男に「日本もだんだん発展するでしょう」と訊(き)く。「滅びるね」と答える。講演会でも「日本の開化は皮相(ひそう)上滑りである」。漱石は30年後、張り子の虎になった日本を見通していた。
明治の指導者は自国の弱さを弁(わきま)え、希望的観測は持たなかった。弱者ゆえに生き残りの知恵が生まれる。昭和の指導者は蜃気楼(しんきろう)的夢想の中にとじこもり、現実を直視しなかった。司馬遼太郎(しばりょうたろう)は彼らの無能さと無責任さに呆あきれはて、昭和初期の日本は「別の国」だったと述べている。

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