■「希代のエンターテイナーと大俳優」
ずっと昔のこと。東京での仕事が早く済み、新宿紀伊國屋書店に行った。ふと壁のポスターが目に入った。上の劇場で『写楽(しゃらく)考』が上演されていた。謎の絵師の正体は?写楽を演じたのはまだ無名の西田敏行(にしだとしゆき)。小太りの体にバリトン風の響く声。力感溢(あふ)れる演技に魅了された。
『西遊記』のコミカルな猪八戒(ちょはっかい)。『池中玄太(いけなかげんた)80キロ』の心優しき男。西田をいびる森繁久彌(もりしげひさや)との軽妙なやりとりの『三男三女婿一匹』。一躍人気スターになる。映画『学校』では、苦境や挫折から立ち上がる人々を励ます夜間中学の熱血教師を熱演。舞台『屋根の上のヴァイオリン弾き』では、迫害されながらもお人よしで働き者のユダヤ人の父を演じた。
私は『淋(さび)しいのはお前だけじゃない』が好きだ。しがない借金取りが、あることから旅芸人一座に足を踏み入れる。大衆演劇の人間模様を笑いとペーソスをまじえ演じた。おかしさの中に悲しみを宿し、じたばた生きる人間への共感がにじみ出ている。滑稽、優しさ、哀愁、悪役…。あらゆる役をひらりとこなす西田は、まぎれもなく名優の一人になった。
西田といえば『釣りバカ日誌』。建設会社社長のスーさんと平社員のハマちゃん。希代のエンターテイナーと大俳優の絶妙な掛け合いは、日本人の心を癒した。思い返すと、二人は前にも共演していた。1974年上映の『襤褸(らんる)の旗』。足尾鉱毒事件に激しく抵抗する田中正造(たなかしょうぞう)と、農民を描く社会派映画。銅山の毒で渡良瀬(わからせ)川流域の農地は荒地と化す。谷中(やなか)村は遊水池に指定され全員立ち退きとなる。
田中を三國連太郎(みくにれんたろう)が、農民の若きリーダーを西田が演じた。引き締まった体に精悍(せいかん)な顔。きびきびとした動きに歯切れのいい言葉。田中代議士の演説の日に、3千人の農民が窮状を訴えようと「請願」の旗を立て帝都に向かう。途中、巡査や憲兵が銃やサーベルで阻止する。
万感の怒りを込め「多数の巡査は『この土百姓が』と殴りつけた。天下の人民に向かって『土百姓』とは何たることでありますか。請願にきた被害民らを蹴散らし『大勝利万歳の勝鬨(かちどき)を上げる』とは何でありますか…政府が政府たる義務を忘れて人民に歯向かう時、人民は断固闘いを起こす権利を行使いたしますぞ…」。
まるで正造の霊が乗り移ったような、肺腑(はいふ)をえぐる弾劾演説に震えが止まらなかった。しかもこれだけの長ゼリフを頭に叩たたきこみ、なんと一回で撮り終えたという。三國の集中力に驚嘆するばかりだ。
西田が仰天した!強制執行する役人の前に正座する三國。ぼろぼろの着物に丁髷(ちょんまげ)。すさまじい形相で「ここは谷中村の土地ぞ」。かき集めた土を食べてしまう。勿論(もちろん)台本にはない。二人はロケ地のホテルで三國の映画を観た。『飢餓海峡』や『利休』。西田は「表現者としての7割は三國さんからの影響」と言う。
三國の役づくりは狂気をはらむ。「台詞を体の一部にしなければその役は演じられない」と語る。正造を知ろうと『谷中村滅亡史』を読み、現地を隈(くま)なく歩く。利休に迫ろうと『秀吉と利休』を読み、茶の湯に没頭する。その徹底さと風狂は、とうてい余人の及ぶところではない。
三國は喜劇と悲劇を一身に演じられる西田を評価した。小気味いい言葉を好んだ。当意即妙のアドリブを楽しんだ。二人は殺気の伝わるような演技をする一方、うららかな娯楽映画でおとぼけ役もこなす。異能の出会いに感謝したい。
西田はあらゆる役を演じた。ラジオの朗読劇も『人生の楽園』のナレーションも楽しかった。「福島は何があっても負けねえぞ」と故郷へエールを送り続けた。最後に演じたい役は田中角栄(たなかかくえい)。とてつもない磁力を持った人物をどう演じたのだろう。ワクワクするがもはや叶(かな)わぬこととなった。とびきりの笑顔を届けてくれた西田さんに満腔(まんこう)の敬意を表したい。
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