-学校の今昔-
長沼小学校 その1(明治13年)
長沼小学校の前身は、明治6年に創立された石背(いわせ)小学校ですが、その歴史はさらに、明治2年に長沼藩主の松平頼策(まつだいらよりふみ)が設置した「文武学校」まで遡ります。その学校の様子は、明治13年に作成された石背小学校の沿革誌に詳しく記されています。
文武学校は藩士の子どもたちの教育機関で、長沼陣屋の一部を校舎にしていました。明治3年に「興風館(こうふうかん)」と改称され、地元の本念寺に校舎が移ると、庶民の子どもたちにも開放されました。興風館では8歳から18歳の子どもたちが学び、午前8時から午後5時まで授業が行われました。国学や漢学、算術、書道などはもちろん、剣術や槍、柔術なども学ぶことができました。
明治5年に発布された学制で興風館は石背小学校となり、この学校名は明治20年の3月まで続きました。
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