-学校の今昔-
大東小学校 その1(明治~大正時代)
大東小学校の歴史は、明治7年に遡ります。小作田村、市野関(いちのせき)村、日照田(ひでりだ)村、田中村、下小山田村が合同で、小作田村の大福寺(だいふくじ)に小作田小学校を開校しました。その後、明治22年に5村と上小山田村が合併して川東村ができると、川東尋常小学校が設置され、明治30年には小作田地区に新校舎が建てられました。この時、高等科も設置され、川東尋常高等小学校となり、近隣の村からも100人余りの入学者がいたと言われています。
しかし、明治35年9月に激しい風雨が村を襲い、校舎の大部分が倒壊しました。そのため、被災直後は民家を借り、10月からは大福寺を仮校舎としました。
明治36年8月から校舎の改築工事が行われ、翌年1月に完成。以降、地区の中心校となり、明治33年に260人だった児童数は、昭和20年には774人になりました。
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