-学校の今昔-
長沼小学校 その2(明治22年)
明治9年2月、石背(いわせ)小学校は、仮校舎としていた本念寺(ほんねんじ)から、廃寺となった太養寺(たいようじ)(長沼市民サービスセンター付近)に移ります。同年11月に増築し、教室が新たに2つ設置されました。
明治20年に学校名が長沼尋常小学校となり、その年の4月25日に長沼で大火が発生します。170戸余りが全焼したとされるこの火事で、校舎は焼失しました。
その後、明治22年に新築された校舎には、教室・職員室・講堂のほかに、今でいう特別教室として「裁縫教室」が設けられました。小学校の沿革誌によると、女子児童の科目として、読書や算術、習字などのほか、週2時間、裁縫が割り当てられ、衣服の裁ち方や縫い方などを学びました。
→博物館
【電話】75-3239
<この記事についてアンケートにご協力ください。>