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ふるさとを想う

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秋田県五城目町

おらほのまちのたまてばこ
ふるさと五城目会 伊藤 喆(てつ)(蓬内台出身)
馬場目小学校前の道を挟んですぐ隣の家で生まれました。父である裕之輔は馬場目小学校校長で、長男が哲洋(戦死)、二男が東(営林署山役人)、三男が要(歌手)、長女が滋(五城目高前進、卒)、四男が日(金足農業高校水泳部)、五男が本人の喆です。
子どもの頃の遊びは、缶蹴り・ガッパ歩き(缶にヒモをつけて落ちないで歩く)・ビー玉穴回り(指で打って)・板スキー・板スケート(板で作った)・ソリ滑りなどで、村全部のかくれんぼは一日中やっていました。小学校三・四年の時は、登り坂でのトラックの後ろにぶら下がる遊びを怒られながら隠れてやっていました。
家はグラウンドのすぐそばなのでよく走っていました。五年生の時は、五城目地区五・六年大会で、100メートル・走り幅跳び・リレーの全てで優勝し大感激しました。陸上競技が好きで負けたことはありません。中学校ではバレーボール(九人制)に夢中になり地区大会で準優勝しました。
昭和37年に五城目高等学校を卒業し、昭和40年に国学院大学を卒業しました。大学では、金田一京助の最後の講演「友人、石川啄木を語る」に感激しました。
その後は、日女体大附属二階堂高等学校で43年間の教師生活を送り、その間、東京都高等学校の教師の海外修学旅行を先行しました。昭和61年7月には私学海外教育視察団に参加しました。
そして令和3年、教師生活に幕を閉じ、同年4月に世田谷区シルバー人材センターに入会しました。現在は世田谷高齢者(70歳以上)の書道教室(現在64人講習)の講師をして現在に至っています。84歳になっても学友と集まって懐かしいふるさとの話をしています。

[五城目へのエール]
湧き立つ勇気
うごめく世界に
はばたいて行け
ひるむな 心育む五城目町‼

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