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自治体の皆さまへ

ふるさとへの便り

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秋田県東成瀬村

いつもの顔ぶれ
「また会おう」が……
いつ頃からだったろうか。年に一度か二度集まるようになったのは?集まるとたわいもない話に涙が出るほど笑い転ける。昼頃にJR「御徒町駅」で待ち合わせ。アメ横のお兄さんを冷やかしながらいつもの居酒屋に行く。ここ最近の東京での同級会である。
記憶が定かではないが、東京で集まるようになる発端は「42歳厄祓い同級会」だったように思う。誰となく言い出した「同級会、東京でやろうよ」と。
古いはがきをひっぱり出してみた。厄祓いの翌々年に東京で同級会をやっている。東京近辺にいる半数ほどの7人が集まった。話は尽きることなく、きっと、終電を気にしたであろうことは想像に難(かた)くない。なぜならば、その集まりの三月後、翌年の2月に「また集まろう」と約束をしている。今度は泊まりで。当時はまだ出稼ぎがあった頃で、同級生の何人かが出稼ぎに来ていた。ならば、それも巻き込み、時間のゆくまでしゃべりまくろう。その魂胆は箱根での一泊となった。

東京での同級会は、いつしか「いつもの顔ぶれ」になっていた。還暦を過ぎる頃からは故郷の同級生たちとの集まりも増すようになった。そこにも、決まったように「いつもの顔ぶれ」があった。そんな同級会もコロナ禍で一服状態に。「そろそろ集まりたいね」と、声をかけ合おうとした矢先のこと。いつもの顔ぶれのひとり(彼)が「病気らしい」と。昨年の5月のことだった。その年の9月に「つくば」に集まった。彼が「皆に会いたい」と言う。入退院を繰り返していると聞いていたから、複雑な思いで「つくば」に向かった。

どう言葉をかけたらいいいか。あれこれ思いを巡らしていると、娘夫婦に伴い彼が顔を見せた。心配とは裏腹に元気そうである。「どこが病気?」と聞く間もなく、彼の方から口を開いた。照れくさそうに「付き添いがいるんだよな」と娘に同意を求めていた。
軽い食事をしながら励ますつもりだったが、俺たちが「つくば」に一泊する旨を伝えると、一緒に泊まるという。その夜も、よくしゃべりよく笑う、いつもの同級会になっていたが。翌朝、娘夫婦の車に乗り込む彼に「また会おう」と声をかけた。
今年の3月も終わろうとする頃、彼の悲報を知ることとなった。「また会おう」が脳裏から離れない。

naru

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