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終戦から78回目の夏 平和への誓い

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秋田県能代市

今年度の能代市戦没者追悼式・平和祈念式典で発表された能代第二中学校2年の渡邉新菜さんの「平和への誓い」の作文を掲載します。平和の尊さを次の世代へ伝えていくため、皆さんも平和について考えてみませんか。

■遠い昔の出来事だと思っていた戦争曾祖父の心に今も残る恐怖を知り〝自分事〟に
今年、日本は終戦から78回目の夏を迎えました。これまで私にとって戦争は遠い昔の出来事でしたが、戦争について改めて考えさせられるきっかけの出来事がありました。
それは、今年行われた「広島G7サミット」のニュースを見たことです。G7サミットとは、日本、アメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、イタリア、カナダの七カ国とヨーロッパ連合の首脳が毎年開く国際会議です。自由・民主主義・人権などの基本的価値を共有するG7の首脳が、地球規模のさまざまな課題について率直な意見交換を行っています。
ニュースの中で世界の首脳たちが広島の原爆資料館を訪れたことを知りました。私自身は原爆資料館に行ったことはありませんが、核兵器の恐ろしさ、悲惨さを伝える場所と聞いています。訪れた首脳たちがそれぞれに残した言葉が報道されていました。どの人の言葉からも、心を深くえぐられるような衝撃を受け、「二度とこのようなことを起こしてはいけない」と強く誓ったことが伝わってきました。戦争が引き起こすものを憎む気持ち、平和を望む心は、国や人種、立場の違いを超えたものだと思います。
私の曾祖父は95歳。三種町の釜谷で暮らしています。戦争当時、曾祖父は幸いにも戦争に行かずにすみ、釜谷地区も大きな被害を受けずにいたと言います。ところが、終戦の年のある日、空が見たこともないような真っ赤な色になったそうです。それは、秋田市の土崎大空襲で燃え上がった空の色だったのです。曾祖父はそのときのことを「今思い出してもおっかねがった~」と言います。
調べてみると、土崎空襲があったのは終戦前日の8月14日深夜。一万発以上の爆弾が投下され、製油所や市街地の大きな被害、そして死者250人以上、負傷者200人以上の、秋田県内唯一の大規模空襲だったことを知りました。
80年近くたっても、曾祖父の心から消えない戦争の恐怖。実際に戦争を体験した人が少なくなっていく中、曾祖父のような戦争体験をしっかりと心で受け止め、次の世代へ伝えていくことが大切なのではないでしょうか。
あるアニメの曲に「悪魔の子」という曲があります。その最後に次のような一節があります。「正義の裏、犠牲の中、心には悪魔の子」――自分では正義だと思い込んでいるものが相手にとってはそうでないことがある。それに気づかず一方の正義を押し通すと、そこに犠牲が生まれ、争い、つまり悪魔の子が育っていく――。私には、そのような意味に思えました。友達とのやりとりにも、国同士の関係にも同じことが言えると思います。争いを生まないための最初の一歩は、自分だけが正しいと思わず、自分と違う人を尊重することだと私は考えます。
朝起きて学校に行き、勉強や部活動に励み、友達と楽しい時間を過ごして、夜にはゆっくりした気持ちで眠る。私にとってはごく普通の、命の危険や恐怖など感じることのない日常です。でも、この平和な日常は、戦争によっていつ奪われてしまっても不思議ではないのかもしれません。現に世界には目を覆いたくなる戦争の惨状や、身がすくむような戦争の火種が、今もあるのですから。
平和を守るために私たち若い世代ができることは、過去の戦争や現在も続く戦争を、自分事として受け止めること。そして、お互いを尊重し合う心を持ち続けることです。これまで平和を築いてこられた方々への感謝を忘れず、「これからも平和が続く未来」に向けて、一人一人が行動していきたいと思います。

問合せ:福祉課
【電話】89-2152

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