◆応援職員の派遣
◇制度概要
応援職員の短期派遣については、大規模災害が発生し、または発生するおそれがある場合に、全国の地方公共団体の人的資源を最大限に活用して被災市区町村を支援するための全国一元的な応援職員の派遣の仕組みとして、平成30年3月に「応急対策職員派遣制度」を創設しました。
本制度に基づく応援職員の派遣の目的は2つあります。1つ目は、被災市区町村が行う災害マネジメントの支援(「総括支援チーム」の派遣)です。これは、災害マネジメント総括支援員と災害マネジメント支援員など数名で構成するチームが、被災市区町村長の指揮の下、被災市区町村が行う災害マネジメントを総括的に支援するものです。2つ目は、避難所の運営、罹災証明書の交付等の災害対応業務の支援(「対口支援チーム」の派遣)です。これは、避難所の運営、罹災証明書の交付等の災害対応業務に係るマンパワー支援を行うものです。
なお、派遣元自治体が負担をする応援に要する経費については、特別交付税による措置を講じています。
また、技術職員の中長期派遣については、南海トラフ地震や首都直下地震など今後の大規模災害に備えて、復旧・復興に必要な中長期派遣の要員を確保する「復旧・復興支援 技術職員派遣制度」を令和2年度に創設し、登録された職員に係る人件費に対し地方交付税措置を講じています。
本制度においては、都道府県等が、あらかじめ中長期派遣要員として登録し、平時には、都道府県等が市町村支援業務のための技術職員を配置し、支援業務を実施することとしています。大規模災害が発生した場合には、地方三団体(全国知事会、全国市長会、全国町村会)、指定都市市長会と総務省で構成する「確保調整本部」を設置して中長期派遣調整の全体を総括するとともに、「中長期派遣可能な技術職員数」として都道府県等から報告された要員の派遣先を決定しています。
なお、一般事務職員等の中長期派遣についても、地方三団体等と連携し対応しています。
◇令和6年能登半島地震における被災地での活動
被災自治体の行政への支援として総務省から、政府の現地対策本部や被災自治体に、総務大臣政務官や総務省幹部を含む職員を派遣しました。
また、発災直後から被災地と連絡をとり、災害マネジメントを支援する総括支援チームが迅速に現地に入り、その後対口支援として全国の地方公共団体から応援職員が派遣され、避難所運営や罹災証明書交付業務等を担いました。ピーク時の1月26日には、1日当たり、実に1,263名の職員が現地で活動しました。
また、復旧・復興に向け、技術職員を含めた中長期的な支援も進めており、令和6年4月現在、市町村からの159名の技術職員の要望に対し、当該制度を活用するとともに、指定都市、中核市等からも派遣いただき、全て充足し、118名の一般事務職員等の要望に対し、92名を充足しているところです。
◆応援派遣職員インタビュー
全国からの熱い支援と総務省の行政力を生かし被災自治体を支える
能登半島地震の発生直後に被災自治体を支援するため現地に入り、 総括支援や対口支援のチームなどと災害対応にあたった 3 人の職員に、現地で取り組んだこと、 感じたことを聞きました。
──派遣先ではどのような業務に従事したのですか。
東高士参事官(以下、東):私は1月1日付で消防庁に異動したのですが、ちょうどそのタイミングで地震が起き、輪島市の皆さんのサポートにあたることになり、4日に現地に入りました。業務は時間を追って変化しました。当初、ヘリコプターによる救助などの孤立集落対策があり、これと並行して被災者の市外への避難を促進し、続いて仮設住宅を建設するための土地の確保などに取り組みました。これらの支援を進めていく上で、総括支援チームは災害現場の経験者が多くて頼りになり、また対口支援ではプッシュ型に近いかたちでどんどんマンパワーを送り込んでいただき、大変助かりました。
水谷健一郎課長補佐(以下、水谷):帰省中の3日に総務省から連絡があり、重要な任務を与えられたと気を引き締め、珠洲市に向かいました。私は令和3年の静岡県熱海市の土石流災害のとき、内閣官房にいて情報収集にあたった経験はあるのですが、現地での災害対応は初めてです。市役所の庁舎に行くと、国のリエゾンや対口支援のチームがバラバラに活動している状態でしたから、まずは情報共有のための会議を設けることにして、自衛隊や警察、消防、市の幹部、国や対口支援の職員が毎日、朝夕に集まり、課題を吸い上げ、市長のご判断に役立てる仕組みとしました。
宮崎正志課長補佐(以下、宮崎):私は能登町長の災害マネジメント全般をサポートするよう指示され、1月10日に能登町に向かいました。現地で感じたのは、能登町も被害が大きいにもかかわらず、報道等では他市がクローズアップされがちだったことです。能登町のプレゼンスを埋もれさせないよう、町長が口にされる何気ない言葉を問題意識としてすくい上げ、県の災害対策本部員会議やマスコミ対応等における町長の発信をサポートすることを意識しました。加えて、意識したのが町役場の職員の心身の健康です。職員自身、多大なストレスを受けている被災者であるにもかかわらず、役場で働きながら避難所のリーダー役まで引き受ける方が多くいましたが、過労で倒れてしまわないよう、町職員と対口支援職員の役割分担を調整しました。また、国や県との調整に際しても、常に町の立場に立って寄り添うことを心がけました。
──派遣期間にどのようなことを感じましたか。
水谷:「困ったことがあれば、何でも言ってこい」とおっしゃってくださった総務省の諸先輩の存在が心強く、ありがたかったです。国のあらゆる制度に精通する先輩、被災地での対応を経験された先輩から先を見越した的確な助言をいただき、総務省の総合行政力を改めて認識しました。
宮崎:被災地でも地方自治や行政管理、情報通信など総務省の各所管分野の力が発揮されたと感じています。通信の復旧に向けた総務省リエゾンの対応は親身でスピーディだと感じましたし、行政相談会も開催して頂きました。全国から集結した緊急消防援助隊の規模の大きさを目の当たりにし、大変心強く感じました。
東:今回、市外への二次避難を行いましたが、これを実現するには石川県にバスなどの移動手段や避難先となる宿泊施設の手配を依頼する必要があり、県の交通政策課や観光戦略推進部、危機管理監室など多くの部署とやり取りしました。その際、私は石川県に出向した経験があり、県幹部の皆さんと直接つながれたこともあって、国、県、市の組織を縦横に結びつける接着剤の役割を果たせたと思っています。こうした新たな対応のノウハウが今後の災害対応に生かされると良いと思っています。
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