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市史編さんだより第10回

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群馬県桐生市

『新編 桐生市史』編集委員 近世部会専門委員関口荘右(せきぐちそうすけ)

■「上田沢村の関口文治郎」
令和5年6月23日付けの新聞各紙は、「国の文化審議会が、江戸時代後期の北関東神社建築を象徴する桐生天満宮を国の重要文化財に指定するよう文部科学大臣に答申した」と報じました。対象は、寛政年間から享和年間(1789~1804年)に建造された本殿・幣殿・拝殿が連なる1棟と末社春日社本殿です。このうち本殿・幣殿は、名匠の関口文治郎が棟梁を務めた彫刻で装飾されています。
棟札などから、文治郎が手がけた彫刻は、出生地である現黒保根町上田沢の栗生神社本殿のほか、県内外で多数確認されています。しかし、彼の事績を示す文字史料はわずかです。今回は、宝暦2(1752)年に文治郎が生家近くの観音堂へ寄進した半鐘の銘文を紹介します。
「上野国東上刕勢田郡 墨河庄上田沢村施主 生年廿二歳 関口文治郎」
「刕(しゅう)」は州と同じ意味で、「勢田郡」は群馬県立文書館収蔵の近世文書にも多く見受けられます。「墨」は「黒い」の意味で、黒河庄(くろかわのしょう)という旧黒保根・東地域の呼称です。「廿」は、「二十」と同じ意味の文字です。
文治郎に関する新史料を掘り起こすとともに、合併した黒保根・新里地区の近世史を史料に基づいて、より明確にすることが『新編桐生市史』に求められています。

問い合わせ:市史編さん室
(【電話】47-7335)

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