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市史編さんだより第12回

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群馬県桐生市

■「記憶からつむぐ土地の歴史」
『新編桐生市史』編集委員 民俗部会専門委員 亀井好恵(かめいよしえ)
広沢町六丁目の賀茂神社の鳥居脇に小さな石祠(せきし)があります。この石祠は、広沢の地に伝わる「曽我の七橋(ななはし)」に関係する曽我宮(そがぐう)です。
「曽我の七橋」の伝説は、今ではもう覚えている人も少ない、忘れかけられた伝説です。「曽我兄弟が仇討ちをしたのち、その縁者がこの地に来て兄弟供養のために七つの橋をかけた」という、とても断片的な話が残るに過ぎません。
曽我宮は、元は別の場所に祀(まつ)られていましたが、集会所を建てる際に賀茂神社に遷(うつ)され、曽我宮の前にかけられていた石橋の一部も賀茂神社境内に移されました。石板の大きさから石橋をかけた川は、それほど広い川ではなさそうです。
広沢には「曽我の七橋」と同様に、「七」の数が印象的な「七橋七地蔵(ななはしななじぞう)」の伝説があります。この伝説は「広沢には七つの石橋と七つの地蔵がある」という、さらに断片的なものです。
これらは口頭伝承としては、ほとんど消えた伝説です。しかし、現地を歩き、時には古い地図や文書を探り地元の人々の話を聞くなどするうちに、2つの伝説の因果関係が、広沢の灌漑(かんがい)用水であった「大同堀(だいどうぼり)」と深く関係するものとして明らかになってきました。
民俗調査は、小さな記憶の断片から土地や人々の生活の歴史を編む作業なのでしょう。

問い合わせ:市史編さん室
(【電話】47-7335)

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