ある日、敷地の脇に倒れている道しるべがあるが、立て直して見やすくしたい、という連絡をいただきました。
この道しるべは広馬場中ノ前(なかのまえ)(17区)にあり、高さ60センチ幅30センチほどの大きさです。表側の文字は、金古町を経て前橋市に至る道、黒髪山を経て榛名山に至る道、新井村を経て渋川に至る道を示しています。年号はありませんが、形式から大正時代のものとみられます(「新井村」と明治時代の村名を記している点は気になります)。明治から大正時代の交通事情といえば渋川・伊香保間、渋川・高崎間に電車が開通した頃にあたり、移動手段は徒歩が多く、道しるべの整備は地域住民により行われていました。
この道しるべの情報を伝えてくださったのは一倉明司(いちくらあきじ)さんです。一倉さんは倒れていた石を起こして固定し、道行く人が見えるように設置しました。身近な石碑(せきひ)や道しるべもそれぞれが価値のある地域の文化財ですので、皆さんに知っていただきたく紹介しました。
<この記事についてアンケートにご協力ください。>