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[特集1](1)

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茨城県

■コロコロコミック×茨城県民の日企画 ~茨城のはじまりへ~

11月13日は茨城県民の日。
私たちが住む茨城は昔、どんな様子だったのでしょうか。
時空を旅するタイムトラベラー「ふうと」が、茨城のはじまりをご紹介!
さあ、茨城のはじまりをのぞいてみましょう。

常陸の国は、国広く、山も遥かに、田畑は肥え、
広野の拓けた良き国である。
海山の幸にも恵まれ、人々は安らぎ、
家々は満ち足りてゐる。―常陸国風土記より

●タイムトラベラー「ふうと」
[プロフィール]
フォロワー数280万人の自称インスタグラマー。
自分の名前の由来である風土記が大好きで、時空を司る妖怪タイムと一緒に、タイムトラベルをして写真を撮っている。

・東国を巡っているヤマトタケルノミコトと一緒に、海の幸を食べたよ。村のみんなは、いつも夜になると酒を飲んで、歌を歌って、悩みなんて忘れてしまうんだって。僕は、お酒は飲めないけど、楽しかったなあ。

・行方郡に、角の生えた蛇が出て騒ぎになっているらしく、見に行ったよ。
箭括(やはず)氏のまたちさんが、「山を神の住処に、里を人が耕す田にしましょう。私が神主(かんぬし)になって、子孫の代までお祀(まつ)りします」と約束して、田を耕せるようになったんだ。その後、一緒にお祀りをしたよ。

・霞ケ浦に、昔は島があったんだね。そこでは塩づくりが行われていて、僕も見学させてもらったよ。せっかくだから、スマホで写真を撮ってもらったら、「この板は何?」って聞かれちゃった!

・八溝山の辺りに行ったら、砂金がザクザク取れていてびっくり!
遣唐使の財源にも使うんだって。

・突然現れた茨の城!どうやら黒坂命(くろさかのみこと)が、山野の賊と戦うために築いたみたい。
帰ってきてから知ったんだけど、これが「茨城県」の由来になったといわれているらしいよ。すごい迫力の城だったなあ。

・水海道で、立派な武人が馬に水を飲ませていたよ。
すごくオーラがある人だったから、もしかして有名な人だったりして…。
その後、東北地方へ向けて走り去っていったんだ。

■もっと知りたい!茨城県

●茨城県の誕生
1871(明治4)年7月の廃藩置県により、全国に3府302県が置かれました。同年11月の府県の統廃合によって、茨城県、新治県、印旛県が生まれ、その後、新治県、印旛県との統廃合を経て、1875(明治8)年5月に、ほぼ今の茨城県の形となりました。
※詳細は本紙をご覧ください。

◇県のシンボル
・県のマーク「県章」
開き始めた「ばら」のつぼみのデザインで、県の「先進性」「創造性」「躍動」「発展」を表しています。
・県の花「ばら」
・県の木「うめ」
・県の鳥「ひばり」
・県の魚「ひらめ」

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