■ミュージカル女優
小野妃香里(おのひかり)さん
今月のシリーズまち・ひと・しごとは、ミュージカル女優として、数々の作品に出演しながら、布川にあるダンススクール「ダンスファクトリー」を主宰している小野妃香里さんにお話を伺いました。
―ダンスを始めてから、現在のミュージカルの道へ進んだきっかけを教えてください
もともと母がダンス講師をしていて、幼いころから稽古場が遊び場みたいな感じだったので、「踊りたい」と思って始めたというよりは、「気付いたら踊っていた。」そんな感覚です。
私が10歳の頃、家族で利根町に越してきて、母が、この場所で「ピノキオダンスファクトリー(現ダンスファクトリー)」というダンススクールを始めました。中学生になって、本格的にダンスの道を歩み始めて、中学卒業後の進路で「踊りで生活していくには?」と考えた時に、当時の自分が出した答えが、商業舞台に出ることでした。そんな時に、母が、ハウス名作劇場ファミリーミュージカルのオーディションを新聞広告でみつけてくれて、初めて受けたオーディションで合格しちゃったところからミュージカルの道が始まりました。
当時は、日本でミュージカルというものが盛り上がり始めたころで、今と違って人口も少なかったんですよね。中三の冬休みにこのオーディションに合格して、そこから高校時代の春夏冬休みはずっと公演で全国を回っていました。今思えば、武者修行です。
途中、反抗期じゃないですけど、「なんで踊らないといけないの?」と思ったこともありました。でも自分の中でダンスは、食べる、寝る、と同じぐらい生活の一部になっていたので、私の人生で踊らないというのはあり得ないことだったんです。
―ダンスファクトリーについて教えてください
ダンスファクトリーでは、私もクラスを持っていて、母と一緒にダンスを教えていましたが、母が亡くなってからは、私が後を引き継いでいます。今は、毎週水曜日に、9歳から81歳まで、幅広い年齢層の方たちがレッスンを受けていて、内容はさまざまです。
シニア向けのストレッチとやさしいタップダンス教室から始まり、子供向けのバレエやジャズダンス教室などを行なっていますので、興味のある方はぜひ一度遊びに来てください。最近は、オンラインで、バレエやヒップホップなどの個人レッスンも始めました。
昔から通っている生徒さんの中には、結婚して町外に出ていったあとも通ってくれる方もいますし、親になって、子どもたちを連れてきてくれることもあります。
私が本業のミュージカルに出演する期間は、教室を一カ月ほどお休みさせていただくこともありますが、生徒さんたちも理解してくれてるし、舞台出演も応援してくれていて、とてもありがたいです。
―利根町での暮らしはどうですか
実は、ずっと都内に住んでいたので、ちゃんと利根町で暮らすようになったのは、ここ7年ぐらいなんです。
利根町にいると夜明けとともに起きて犬の散歩をして、夜も早く寝れますし、規則正しい生活ができるんです。
あと、都内にいた時は、どんな花が咲いてるとか、季節なんて全然感じてなかったし、月を見上げたこともなかったけど、利根町は、季節ごとの花が咲くし、「あぁ、柿がなったな」とか…当たり前のことだけど、自然や四季がちゃんと感じられて、豊かでいられるところが好きです。
時間もゆったり流れているから、暇な時間も都内よりよっぽど豊かで(笑)
昔だと、例えば、台本を取りに来て、と言われると一日がかりで都内へ出かけていきましたが、今はメールで送られてきて便利になったし、都内へも近いから、全然不便は感じていません。
利根町は、このまま変わらないでほしいです。
―どのようなミュージカル女優を目指して活動していますか
昔から、ブロードウェイに行きたいとか有名になりたい!みたいな観点はなくて、人が営みの中で感じる傷みとか哀しみとか、いろんな感情を自分もちゃんと日常の中で感じて、それを舞台上で表現することで、観てくれるお客様と、時間と空間と感情を共有できる役者になりたいと思っています。
これからは体力も衰えていくと思うので、依頼されたお仕事をひとつひとつ着実にやっていきたいです。
―将来、ダンスやミュージカルの世界を目指している子供たちへ、なにかメッセージをお願いします
この職業に限ったことではないと思いますが、「楽しい!」と思ったことは、どんどん追究して突っ走ってほしいです。楽しいって気持ちがどこから湧いてくるのか、人間って不思議だなと思うんですけど、それは、考えて湧いてくるものじゃないし、そういう気持ちは、どこからか降ってくる特別な力だと思うので大切にしてほしいです。
ダンスにせよ、ミュージカルにせよ、他の職業でも、追究しているうちに入口が見つかると思います。あ、うちの教室にきてその入口を探すという手もありますよね(笑)
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