■年の変わり目にちょっと厄介な訪問者
~終わりから始まりに~
○大晦日に病の神
ちょっと読んでみようかと、江戸時代の読本(よみほん)『大三十日曙双紙(おおみそかあけぼのぞうし)』とやらを手に入れてみた。物語には天然痘(てんねんとう)という病をつかさどる疱瘡神(ほうそうがみ)が登場する。大晦日(おおみそか)、その疱瘡神は犬に追われて、お金持ちの福徳屋忠兵衛(ふくとくやちゅうべえ)の家に潜り込んだ。忠兵衛の家では、歳神様(としがみさま)をはじめ、家を守護する神々に灯明(とうみょう)が飾られており、それを除(よ)けるように疱瘡神は台所の水がめの陰(かげ)に隠れた。さて、夜も更けて誰もが寝静まった頃を見計らい、疱瘡神はノコノコと這い上がってきた。すると後ろから「待て、ここを立ち去れ」の声。振り返るとカマドを守護する荒神様である。だけど疱瘡神は出て行かない。忠兵衛の一人娘おそめに取り憑(つ)くというのだ。年末年始のどさくさに紛れ、たいへん迷惑な話である。
そういえば、勝手にやって来るわけではないが、数年前に山形で、大晦日にカゼの神を迎えてくる話を聞いたことがある。近くの辻(つじ)まで提灯(ちょうちん)を持って迎え、座敷で御馳走(ごちそう)をしてもてなし、その晩のうちに帰すのだという。一年の終わりと始まりは、とかく困ったモノがやってくる。
○どんなモノなの 困った神さまは
たしかに江戸時代に書かれた年中行事の記録を読んでみると、諸川のNさんのお宅では、年の暮れに疫病をもたらす疫神(えきじん)や疱瘡神のために小さいしめ縄を飾ったとあり、小ぶりながらもお供え餅をあげていたという。
年の変わり目にやって来るモノたちは、供物(くもつ)をもってもてなされ、送り出される神のようですが、いったいどんなイメージだったのでしょうか。さきの『大三十日曙双紙』の挿絵では、少々うらぶれた感がありますが、江戸の随筆をたどってみると、こんな話があります。
元和(げんな)元(1615)年の大晦日の夜、江戸で御家人をしているある侍の家に、一人の美しい少年がやって来た。侍は一夜の宿を提供すると「私は疱瘡の神である。昨晩からの志は、ありがたかった。そのお礼としてこの家の子孫は疱瘡にかからないようにしよう。また、毎年大晦日の夜に、私(疱瘡神)に水を供えてお祭りせよ」と言い残して、翌日、美少年は消えていったという。(『古今雑談思出草紙(ここんざつだんおもいでぞうし)』)
○年の変わり目にやって来る
新しい年を迎えるその時、福を授ける歳神がやって来る。無欲なおじいさんが地蔵の頭に笠(かさ)をかぶせてあげ、大晦日の晩に大量の米俵や金銀財宝が届く「かさこ地蔵」の話のように。
と、同時にその時間の隙間を狙ってやって来る病の神がある。私たちは日常の不安や災いを解消するために、さまざまな想像を働かせ、試行錯誤してきた。これを歓待しお祭りすることが、その家の無病息災につながるものと考えたのもその一つ。お金持ちの福徳屋忠兵衛さんちは、疱瘡神が潜んでいた場所からすると、おそらくお祭りしていなかったのかもしれません。
ところで何年待ってもアタクシのもとへは、福徳や金銀財宝が届いたためしがありません。およそ無欲とは無縁なのでしょうか。それよりも笠がない…。
大三十日愚(ぐ)なり元日猶(なお)愚なり
正岡子規
古河歴史博物館学芸員 立石尚之
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