■リトル・トーキョー
去年9月号の日記には、出身地のデュッセルドルフについて少し話しました。今回の日記では、もう少し詳しく生まれた場所について紹介したいと思います。
実は、私が生まれたデュッセルドルフは「リトル・トーキョー」とも呼ばれています。デュッセルドルフには、ヨーロッパで3番目、ドイツで最大の日本人コミュニティがあり、日系企業も500社以上あるので、普段から日本食レストランやお店、会社を見ることができました。私が、守谷に来る前に働いていた企業もその日系企業の一つです。
デュッセルドルフには、8,400人以上の日本人が滞在し、企業だけではなく、日本のレストラン、スーパー、本屋、パン屋、ホテル、お土産の店などもあります。ほとんどのお店は中央駅のすぐ前にある「インマーマン通り」という通りにあります。ヨーロッパの中心に位置しているデュッセルドルフは、大きな港もあり、陸路や空路のインフラも充実し、ビジネス環境が非常に良いです。
そのため、国際企業も多く、多国籍の人が集まる街です。
1950年代に、日本の商社は少しずつデュッセルドルフで拠点を作り始めました。デュッセルドルフで最初の日本企業は三菱商事でした。1960年代になると、日本食のレストランや食料品店も来るようになり、1970年代には、銀行や保険会社などのサービス産業もデュッセルドルフに来ました。新しい場所に慣れていない日本人を支援する日本クラブや独日センター、日本人学校、幼稚園、日本人の医者もいるので、それまでは一人で赴任していた駐在員は家族と一緒に来るようになりました。
デュッセルドルフ大学には日本学科や美術アカデミー、音楽大学もあるので、日本の留学生にも人気があります。
ドイツと日本の交流に協力している協会もあって、毎年の5月に「日本デー」というお祭りも行われます。日本文化体験やステージのライブパフォーマンスがあって、日本人とヨーロッパ人が交流できる良い機会になります。夜になると、素敵な花火も観覧できます。デュッセルドルフの北部にお寺と文化会館もあるので、少しだけ日本文化にも触れることができます。
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