世界のアニメーション映画業界で大活躍しているスタジオ地図・代表取締役プロデューサーの齋藤優一郎さん。
手がける作品は数々の賞を受賞し、2024年には茨城県表彰も受賞。
今号ではそんな齋藤さんと松丸市長に2025年のこと、守谷市のこと、そしてスタジオ地図の新作についても語ってもらいました。
●スタジオ地図 代表取締役・プロデューサー
齋藤 優一郎(Saito Yuichiro)
1976年生まれ、守谷市出身。米国留学後、アニメーション制作会社に入社。世界のアニメーション業界で活躍。細田守監督『時をかける少女』(2006年)、『サマーウォーズ』(2009年)をプロデュース後、2011年、細田守と共にアニメーション映画製作会社『スタジオ地図』を設立。『おおかみこどもの雨と雪』(2012年)、『バケモノの子』(2015年)、『未来のミライ』(2018年)、『竜とそばかすの姫』(2021年)を企画・製作し、細田監督作品のプロデュースに専念。『未来のミライ』では、第91回アカデミー賞にノミネート。本人は、全米製作者組合(PGA)とアカデミーメンバー(AMPAS)にも選出された。
■子どもたちに「未来は明るい」と伝えられる作品を
松丸:齋藤さんのお仕事とは?
齋藤:スタジオ地図は、アニメーション映画のみを製作する会社です。さらに言えば、オリジナル脚本、細田守(ほそだまもる)監督の作品だけを作ることに特化しています。その作品のプロデュース全般が私の仕事です。資金調達やビジネスモデルの構築を始め、3年以上の歳月をかけてコツコツと一つの作品を作り、国内はもちろん、世界中に向けて発信しています。
松丸:ヒット作品の数々を拝見しています。どのように生み出しているのですか?
齋藤:自分たちの半径3mで起こっている出来事は、おそらく世界中の誰の身の回りでも起こっていることだろうと思っています。その日常で起こっている喜びや葛藤、そして奇跡を作品に昇華することで、多くの方の共感を生む作品が作れるのではないかと思っています。
松丸:制作にかける想いとは?
齋藤:アニメーションは、子どもや若者が見ることが前提の表現だと、私たちは思っています。彼らの葛藤を励まし、成長を称えたい。子どもたちに「未来は明るいんだ!」と言ってあげられるような作品を作り続けたいと思っています。作品を通して、子どもたちの未来を祝福したいんです。
■テクノロジーをポジティブに捉えて
松丸:スタジオ地図の作品には、非常にサイエンス的な要素を感じます。自分のアバターが仮想空間で活躍する「サマーウォーズ」や「竜とそばかすの姫」など、最先端の科学や事象を勉強して作られているんでしょうね。
齋藤:細田守監督ほど、インターネットという技術を肯定的に描き続ける作家は世界を見渡してもいないかと思います。もちろん、物語の強度を高めるための取材などは十二分に行いますが、最も大事なことは、子どもたちの世界をどう肯定するかであり、それは、アニメーション映画監督としての哲学が大きく起因しているのではないかと思っています。
松丸:私の仕事も、守谷市の未来を作ることであり、子どもたちの明るい未来を将来にどうつなげていけるかが大切だと思っています。子どもの未来を明るくしたいという想いは、近しいものがありますね。
齋藤:子どもたちや社会にとって、映画が公共の利益になり得るかどうか、貢献できるかということを大切にしています。
■18歳で守谷からアメリカに
松丸:どういうきっかけでプロデューサーという仕事に?
齋藤:もともとは映画監督になりたかったんです。ただ、頑張ったけれども絵は描けなかったし、物語を作ることもできなかった。だから、広い意味で、自分が映画制作につながれる場所がどこかにあるのではないか、そう思って18歳の頃に守谷を出て、アメリカの大学に留学しました。当時世界中で人気になっていた日本のアニメの立ち位置を自分の目で見てみたいと思った。もちろん、モラトリアムの中で、漠然とそれまで育ってきた環境を飛び出してみたいという本音も半分ありましたが(笑)。アメリカ留学の経験が、自分のアイデンティティを見定めるきっかけになったのは間違いないですね。
松丸:しかし、アメリカに行くという決断には相当な覚悟があったのではないでしょうか?
齋藤:まずは家族の応援と祝福がありました。それにはとても感謝しています。そして、それと同じくらい、自分の中に、自分とは何者なのかというアイデンティティの欠落と、それに伴う大きな葛藤と不安が渦巻いていて、兎にも角にも環境を変えてみたいという思いで、一歩を踏み出しました。かっこよく言いましたけど、そのままの状態ではいられなかったというところかな(笑)。
松丸:そして、プロデューサーという役割に出会った?
齋藤:作品を、制作者の想いと共に、一番良い形で作り、一番良い形で世界に送り出し、それを見続けてもらい、願わくば内容的評価と経済的評価をきちんと勝ち得て、それを制作者に還元し、また新しい作品や新しいチャレンジにつなげていくという「エコシステム」を作る。不遜な言い方ですが、私は絵も物語も描くことは出来なかったけれど、プロデュースもクリエイティブな仕事なのではないかと思い、プロデューサーという映画の役割の1つを、気が付けばがむしゃらに20年以上やってきたことになりますね。
「通っていた守谷小学校の文集では、将来の夢をパイロットとか医者とか、今思うと、自分が何者か分からない人間が、漠然としたものとして書いていた(笑)。オリジナルのアニメーション映画を作りたいという想い、自分の役割、目標を本当の意味で見つけたのはアメリカに行ってからです」と話してくれた齋藤さん。
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