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小美玉市の歴史を知ろう63

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茨城県小美玉市

■学校事始(ことはじめ)ー明治期の上吉影・下吉影・野田の小学校を例にー

◇学制
現代の学校教育のルーツは、今から約150年前の明治5年(1872年)に遡ります。この年、我が国最初の近代教育制度である「学制(がくせい)」が公布されました。「学制」には、学区制を採り小学校が設置することが記されています。また、その序文に当たる「学事奨励に関する被仰出書(おおせいだされしょ)」には「必ず邑(むら)に不学の戸なく」といった記述があり、男女ともに教育を受けなければならない、と求めています。江戸時代の寺子屋と異なり、全ての子どもに教育を受けさせる、と掲げたことが画期的でした。

◇学校への寄附
「学制」では就学と小学校設立を掲げた一方、学校設置とその運営費は学区負担を原則としました。地域の学び舎である小学校を維持していくため、学区の村々では寄附金を集める取り組みが行われました。
「日新(にっしん)小学校寄附金之義願」(明治7年・小川資料館蔵)は、小学校への寄附金拾円(じゅうえん)を当時の茨城県知事に願い出た文書です。世楽村戸長(こちょう)や上吉影村副戸長ら数名が名を連ねています。日新小学校は明治7年(1874年)、現在の茨城町下雨ヶ谷(しもあまがい)にあった寺院を学校と定めた、上吉影小学校の前身にあたる小学校です。この年は学区である上吉影・佐才の村民からも、小学校維持のため寄附金が集められています。

◇明治時代の校舎
明治9年(1976年)に制定された「茨城県小学通則(つうそく)」は、西洋式の校舎を建築することを奨励しています。しかし当時の小学校は、寺院の一室や民家を間借りして授業を行うことがほとんどでした。
10年に下吉影村の修善院に開校した下吉影小学校は、15年(1882年)に移転するまでの間、本堂で授業が行われました。
一方、現在の野田小学校にあたる学校は、26年(1893年)に川戸にあったかつての分教場(ぶんきょうじょう)を借用して、小川高等小学校野田分教場として誕生しました。翌年には現在の校地に小川尋常小学校の古校舎2棟を移築して、野田尋常小学校となりました。このうちの1棟は、旧小川郷校の建物だったそうです。また、この時移築された校舎は昭和31年(1956年)に新校舎ができるまで、県内唯一の茅葺(かやぶ)きの校舎でした。
今回紹介した3つの小学校は、惜しまれながら令和4年に閉校しました。学校は無くなりましたが、学校の思い出や想いが色あせることはありません。
(小川図書館・資料館和久法子)

◇参考展 子どもたちを育んだ学校―小川北の小学校―
上吉影・下吉影・野田の小学校の歴史を振り返る展示です。
会期:7月29日(土)~9月10日(日)
場所:小川資料館(小川図書館2階)
休館日:月曜日、9月1日(金)
※内容が変更となる場合があります。ご了承ください。

問い合わせ:小川図書館・資料館
【電話】0299-58-5828

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