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小美玉市の歴史を知ろう71

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茨城県小美玉市

■おみたま発掘ものがたり(2)~令和2~5年発掘調査~
前回は、令和2~5年にかけて実施された7つの調査成果のうち4つを紹介しました。今回は残り3つを紹介します。

◇令和4年の発掘調査
八幡台(やはただい)遺跡(10世紀の集落遺跡)は、園部川を臨む標高約22mの台地上に所在し、近くには小川南小学校があります。
住宅建設工事に伴う発掘調査で、10世紀の竪穴建物跡5棟が確認されました。通常、煮炊きをするカマドは、壁際の中央に設置されますが、第1号竪穴建物跡のカマドは西側のコーナーにありました。竪穴建物跡の出土遺物には、土師器(はじき)、須恵器(すえき)、灰釉(かいゆう)陶器(とうき)、土製品(土玉・紡錘車(ぼうすいしゃ))などがあります。
竪穴建物跡がつくられた10世紀前半期は、茨城県内の須恵器の生産が停止される時期でもあることから、須恵器が出土しない建物跡もあります。
南坪貝塚(縄文時代後期の集落遺跡)は、梶無川中流域の標高約26mの台地上に所在し、近くには小川運動公園があります。霞ケ浦北岸における縄文時代後期の大規模貝塚の一つに数えられます。貝層は、縄文時代後期前半(約4000年前)に形成されており、ハマグリ、シオフキが主体を占め、そのほかの貝も鹹水(かんすい)産(塩化ナトリウムなどを含んだ水のこと)です。
太陽光発電設置工事に伴う試掘調査では、地点貝塚が4か所で確認されました。試掘抗の地点貝塚は、径40cm、深さ25cmほどの小規模なものでした。ハマグリ、シオフキ、サルボウが主体を占める混土貝層(ごんどかいそう)を持ち帰り、丁寧に洗浄すると、約25kgの貝殻、土器、獣骨、魚骨などが見つかりました。

◇令和5年の発掘調査
広町遺跡(縄文時代中期の集落遺跡)は、鎌田川左岸に位置する標高27mの台地上に所在し、近くには羽木上地区集落センターがあります。
市道改良工事に伴う発掘調査では、縄文時代中期(約5000年前)の袋状土坑2基などが確認されました。一般的に袋状土坑は、1m以上の深さがあり、断面の形が三角フラスコ状の形をしています。地中は、温度や湿度が安定していることから、ドングリなどの貯蔵に使用されたと考えられています。土坑からは、廃棄されたと思われる縄文時代中期中葉の土器が見つかっています。調査区では大部分が壊されていたことから、不明な点が多いですが、台地上には、縄文時代中期を通して集落が形成されていたと考えられます。
2回にわたり紹介した調査成果は、玉里史料館で開催中の参考展で観ることができます。
(玉里史料館 本田信之)

◆参考展 おみたま発掘ものがたり
-令和2~5年度調査遺跡紹介展-
会期:令和7年1月26日(日)まで
場所:玉里史料館(高崎291-3生涯学習センター内)
休館日:月曜日、12月28日~令和7年1月4日、1月14日

問合せ:生涯学習センターコスモス
【電話】0299-26-9111

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