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水戸の城さんぽ其の十

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茨城県水戸市 クリエイティブ・コモンズ

■成沢要害(なるさわようがい)~新発見!水戸唯一の山城?~
住所:水戸市成沢町
水戸の大地は、低地、台地、丘陵地の3つの地形が大半を占め、山地はわずかな面積しかありません。山地には山城(やまじろ)が築かれますが、それ以外では平城(ひらじろ)と平山城(ひらやまじろ)に限られるため「水戸に山城はない」というのが定説でした。しかし昨年、水戸で初めて、山城とみられる遺構が、茨城城郭研究会によって確認・発表されました。それが「成沢要害」です。
成沢要害は、成沢町の寺院・東漸院(とうぜんいん)の背後の山に築かれています。ここから木葉下(あぼっけ)町にかけては鶏足山塊(けいそくさんかい)の山裾(やますそ)に当たり、市内唯一の山地が広がっています。
成沢要害を空から見てみましょう。要害は西城(にしじろ)と東城(ひがしじろ)の二つの城に分かれています。まずは西城の頂上(標高114m)に向かって急な斜面を直登(ちょくとう)していきます。そこには石の祠(ほこら)(金砂(かなさ)神社)があり、ここが本丸と考えられていますが、遺構はほぼ認められません。しかし、この本丸の東西や北側の尾根には、堀や腰曲輪(こしぐるわ)(平坦面)らしき遺構が複数か所認められます。
隣の東城の頂上(標高86m、本丸)は広さはありますが、遺構らしきものは認められません。しかし、頂上南側の尾根筋には堀らしき遺構がハッキリ認められます(写真(本紙参照))。山城と断定するにはもう少し詳細な検証が必要ですが、山を人為的に改変したことは確実で、山城である可能性は高いと言えるでしょう。
さて、成沢要害が山城だとして、いつ、誰が、何のために築いたのでしょうか。関連する記録は全くないため想像の域を出ませんが、戦国時代、江戸氏が佐竹氏の侵攻に備えて築いた可能性があります。
実は成沢要害の北側を流れる前沢川は、佐竹領と江戸領の境界でした。そして川を挟んで約1km北側の台地上(城里町台青木(だいあおき))では、平成5年の発掘調査によって堀などの遺構が見つかり、城館の存在が明らかになりました(仮に台青木城と呼びます)。つまり、前沢川をはさみ、佐竹氏の台青木城と江戸氏の成沢要害が、わずか1kmの距離で対面していたことになります。台青木城は平山城で居住性が高いのに対し、成沢要害はいかにも急ごしらえの城といった構造で、居住するには不向きですから、台青木城を牽制(けんせい)する目的で臨時的に築かれたのかもしれません。佐竹氏と江戸氏の対立を物語る、興味深い城の一つといえます。
城は昔から存在が知られているもの──という印象がありますが、成沢要害のように新たに見つかる城も少なくありません。そしてこうした発見が、市内の歴史をより具体的に理解するための重要なカギとなるのです。
歴史文化財課 関口慶久
※成沢要害を含む周辺の山は未整備です。大変危険ですので、初心者は絶対に登山しないでください。

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