■二十歳を迎えての抱負-代表発表-(要約)
●磯山叶汰さん
この二十年間、私たちはたくさんの人に支えられながら、成長してきました。二十歳という人生の節目、大人としての門出を迎えることができたのは、どんなときも一番の味方でいてくれた家族をはじめ、辛いことも楽しいことも共有し、互いに高めあってきた友人、ご指導いただいた恩師の皆さまや、いつも優しい笑顔で見守ってくれた地域の皆さまのおかげです。
私は、社会人として働いています。ビールのアルミ缶を製造している会社で、ネットワークの管理等を行う仕事を担っています。働き始めて、二年の月日がたちますが、いろいろな壁にぶつかってきました。例えば、人間関係についてです。誰でも一回はぶつかったことがある壁だと思います。学生の頃は、接していて「合わない」と感じた相手とはすぐに距離をおくことができましたが、社会人では、そうはいきません。周囲に同年代が多かった学生時代とは違い、幅広い年代の方と関わりを持つことがほとんどです。感じ方や捉え方が人それぞれで、自分の考えを人に伝えるということの難しさを痛感しました。このようなとき、気軽に相談できたのは、友人や家族でした。友人とは同じ悩みを分かち合い、家族は何も言わずに私の話を聞いてくれました。今でも、人間関係は難しいと感じていますが、周りの人たちからのアドバイスに耳を傾けつつ、不器用でも自分のペースで解決方法を探していくことの大切さを学びました。
今後も、このような壁にぶつかることが多々あると思います。うまくいくことばかりではないと思いますが、そのようなときでも「楽しんでこそが人生」と思いながら、強く生きていきたいと思います。私が前向きに考えることができるのも、いつも支えてくれる友人や家族がいるからです。この場を借りて、感謝の気持ちを伝えさせてください。「いつもありがとう、そして、これからもよろしくお願いします。」この式典が終わった後や、家に帰った後に皆さんも家族に感謝の気持ちを伝えてみてはいかがでしょうか。私は「人とのつながりを大事にしていきたい」と、二十年間生きてきて思いました。恥ずかしくても、不器用でも、これからも感謝の気持ちを伝えていけるようにしていきたいと思います。
●河野美咲さん
私は現在、短期大学で保育者になるための勉強をしています。今年の三月には卒業し、社会人として、一人の先生として働き始めます。これまでの二十年間を振り返り、思ったことは、この世界に「当たり前はない」ということです。私は、高校生の時に事故に遭い、左足に後遺症が残りました。膝を曲げることができず、しゃがんだり走ったりと人間が当たり前にできることができません。足を切断しない選択をしたため、手術やリハビリは過酷で、立ち方や歩き方も分からず、ずっと寝たきりの状態でした。食事もろくにできず、トイレにもお風呂にも行けないという毎日でした。それでも、保育者になるという夢は諦めきれず、保育の学校に進学しました。しかし、現実は甘くはなく、実習は地獄の日々でした。子どもたちと一緒に駆け回り遊ぶことができず、子どもの目線に合わせることもできない。こんな私が、子どもたちの大切な時期に関わっていいのか、保育者になっていいのか、毎日葛藤しました。私の後遺症への理解は難しく、生きづらさを感じていました。
社会では、子どもの虐待に関するニュースが連日のように報道されています。また、戸籍の登録がなく、この世に存在していないとされる子どもたちもいます。自分の経験と、こうした社会の現状からも、今、自分が生きていることは「当たり前じゃない」ということを強く思い知らされました。この世の中は、誰かの支えがあって成り立っています。
私は、小さいながらも、一生懸命に生きている子どもたちがいることを知り、家に居場所がないと感じる子どもたちも、愛されていると安心して過ごせる環境をつくれる、私自身がその居場所になれる保育者になりたいと考えています。保育者は、子どもたちにとって、家族以外で生まれて初めて関わる大人の一人です。ハンデを持つ私だからこそ、私にしかできない保育をしていきたいと考えています。そして今、私自身が生きていて良かったと思えるのは、家族をはじめ、友人や周りの方々のおかげです。これからも、行動や言葉で、感謝の気持ちを伝え続け、思いやりを忘れることなく、支えてくれる人たちを大切にしながら生きていきたいと思います。
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