■紙の新聞が好き
冬の平日。屋外からの自動車だの鳥のさえずりだのいつもの音が不思議と一切聞こえてこない昼下がり。晴れ。
私は少し休憩を取ることにし、自宅の仕事机に座り、朝刊を読みはじめた。第2面を読むためにページをめくると、静かだから、空気抵抗を受けて振るえる新聞紙特有のかさかさひらひら音が大きく響き、そしてやんだ。そのとき、前に読んだ詩的な一文を思い出した。
《音は、それが消えようとするときにしか存在しない》※
たしか『詩と死をむすぶもの』(詩人の谷川俊太郎さんと医師の徳永進さんの往復書簡)という題の新書の中に出てきた気がするけど、どうだったかなあ……。探し出して確認してみたくなった。
しかしそれをやりだしたら、他の本も開いてみたりしてしまい、仕事の再開が大幅に遅くなるからやめた。
めくる音を楽しみながら新聞を読み進めて行くと、茨城版のページで、行方市が「さつまいも課」を発足した、という記事を発見。おっ、イモベーション!と喜んでいると、まど・みちおさんの詩「おならはえらい」を思い出した。おならは、出てきたときにきちんとあいさつをする、それも世界中の誰にもわかることばで。こんにちはでもありさようならでもあるあいさつをする、といった内容だ。おならの音のことについて語っているのだ。ん?においのことともとれるけど、音のほうだと思ってていいよね。と、さつまいも課の記事のそばに載っている別記事の女子高生の写真に話しかけた。
新聞をデジタル版で読む人が増えたそうですね。かさ張らなくていいでしょう。でも、私は断然紙派です。いろいろに二次利用できるだけじゃなく、その存在感も好き。未明の3時ごろ、配達に来てくれるバイクの音を聞くのも好きです。
※ウォルター・オングというアメリカの哲学者、文化史家の言葉のようです。
■小林光恵さん
行方市出身。つくば市二の宮在住。1980年代、20代だった私は、谷川俊太郎さんが詩を朗読するイベントに何度か行きました。多作な方なので、まだ読んでない作品がたくさんあります。
市公式ホームページ内で「行方帰省メシ」連載中。
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