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江戸時代のベストセラー 『赤水図』をつくった 長久保 赤水

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茨城県高萩市

江戸時代に作られた日本地図といえば―。
伊能忠敬の「伊能図」を思い浮かべる人が多いかもしれませんが、それよりも42年前に作られた日本地図があることを知っていますか。
今月は、その製作者である高萩市出身の「長久保赤水(ながくぼせきすい)」に迫ります。

長久保赤水は、江戸時代(1717年)に赤浜の農家に生まれました。9歳で母を、11歳で父を亡くした後、理解ある継母に育てられます。赤水は農作業で体を動かしながら教書を暗唱し、寝る間も惜しんで本を読んだそうです。
14歳になった赤水は、4キロ離れた松岡の私塾へ通い、学問が好きな7人(松岡七友)と共に勉学に励みます。
その後、水戸の有名な学者・名越南渓(なごやなんけい)に手紙を書いて教えを請い、さらに学びを深めます。
赤水の名は知れわたり、論語や中国史の講話を頼まれる程に。
継母が亡くなった35歳ごろから地図を描き始め、44歳で東北地方へ地形を調べる旅に出ます。それから約20年を掛けて「改正日本輿地路程全図(かいせいにほんよちろていぜんず)(通称・赤水図)」を完成させます。

■赤水図と伊能図の違い
赤水は、既存の地図を模写したり、旅人から地名や地形などの話を聞いたりして、多くの情報を収集。比較検証を繰り返した「赤水図」は、まさに編集図です。
一方で「伊能図」は、実測による測量図です。伊能忠敬は「海防のための地図作成」という名目で幕府の許可を得て、17年間の測量を行います。伊能忠敬の日記には「測量時に赤水図を携行していた」と書かれています。
「伊能図」は、正確さから幕府の機密事項に。一般に流行した「赤水図」は、江戸時代末期まで、ベストセラーとして重版されました。

■生涯を地図に捧げる
赤水は、61歳の時、農民出身として初めて、第6代水戸藩主徳川治保の侍講(学問の師)になります。63歳で「赤水図」を完成させた後も、世界や中国歴史図へと研究を続けました。
現在、高萩市歴史民俗資料館で企画展を開催中。赤水が残した生の資料を前に、江戸時代の赤水に思いを馳せてみませんか。

■映画「その先を往け!日本地図の先駆者 長久保赤水」 約50分
市公式YouTubeチャンネルからもご覧いただけます。
※二次元コードは、本紙をご覧ください。

※詳細は、本紙をご覧ください。

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