■作り手のぬくもりを土に込めて
今回の特集では、鹿嶋市に窯を構える陶芸家、野村朋香(のむらともか)さんが放つ陶芸の世界に迫ります。
野村さんは、日本大学芸術学部美術学科に在学中、陶芸と出会い、大学を卒業後、愛知県立窯業高等技術専門校で陶芸の基礎を学びました。その後、益子焼の陶芸家、重要無形文化財技術保持者(人間国宝)の島岡達三(しまおかたつぞう)氏に師事。5年間の修行を経て、伝統的な技術を継承しつつも、独自のスタイルを確立し、陶芸作家として活躍しています。
現在、野村さんは鹿嶋市を拠点に活動し、茨城県笠間市が発祥の伝統工芸品である『笠間焼』の作陶を続けています。野村さんの作品は、国内外で高い評価を受け、イギリスのロンドンにある『和組-wagumi-』で展示・販売され、笠間焼作家の一人として、イギリス国内での笠間焼の普及に携わっています。
また、国立新美術館ミュージアムショップ『SOUVENIR FROM TOKYO(スーベニア フロム トーキョー)』でも作品が展示・販売されているほか、4月29日(月・祝)から5月5日(日・祝)まで笠間芸術の森公園で開催される『笠間の陶炎祭(ひまつり)』にも出店予定です。
野村さんの作品は、その繊細で独創的なデザインによって、多くの人々を魅了しています。野村さんの陶芸への情熱と才能は、国内外での活動を通して、今後もさらに広く知られることでしょう。
■野村 朋香(のむら ともか)
陶歴・受賞歴
1997年 日本大学芸術学部美術学科卒業
2001年 愛知県立窯業高等技術専門校卒業
2003年 益子焼の陶芸家である 人間国宝 島岡達三氏に師事
2009年 鹿嶋市に独立築窯(ちくよう)
2010年 日本民藝館展入選
2021年 JAPAN TRADITIONAL CRAFTS WEEK「かさまのうつわ」展
■なぜ芸術の道に進もうと思った? 陶芸との出会いは?
小さい頃から絵を描くことが好きで、美術大学を目指して、日本大学芸術学部美術学科で絵画(油絵)を専攻していました。陶芸に出会ったのは大学在学中で、学芸員の資格取得の一環として工芸の授業があり、陶芸や彫刻など、多くの工芸を学びました。その中でも特に陶芸がおもしろくて、はまってしまいました。当時の私は、焼き物の産地も知らない状態でしたが、趣味として近所の陶芸教室に週1回程度通っていました。
■益子焼の陶芸家 島岡達三さんに師事するきっかけは?
大学卒業後は、会社勤めをしていましたが、本格的に陶芸の道に進むことを決断し、修業先を探しました。その当時は、基礎的な知識や技術がないと修業を受け入れてもらえませんでした。私自身、趣味として陶芸をやっていた程度でしたので、愛知県窯業高等技術専門校に入学して、しっかりと基礎を学びました。
専門校を卒業後、改めて関東の陶産地で修業先を探す中で、当時、益子に島岡達三さんという重要無形文化財技術保持者(人間国宝)の方がいらっしゃいました。弟子入りを志願しましたが、「今は弟子の空きがないので、1年後、もしまだやる気があれば、改めて訪ねてください」と言われました。諦められずに1年後に訪ねて行き、弟子入りさせてもらいました。
私は28歳で弟子入りし、島岡さんの元で5年間修業しました。一般的に修業期間は3年程度ですが、ここでは5年間、多くのことを学ばせていただきました。休みが少なく、力仕事が多かったので、体力的にはきつかったですが、ひたすら『陶芸だけの世界』というある意味贅沢で貴重な時間でした。
■笠間焼作家になったきっかけは?
5年間の修業を経て、両親の引っ越しに併せて鹿嶋市で独立、築窯(ちくよう)しました。独立後は、作品の発表の場を探すのに苦労しました。どこかで作品を発表したいと思った時に、笠間の陶炎祭の『笠間のたまご』という新人枠に応募して、初年度はそこで出店しました。次の年からは本会場で出店できるようになりました。それがきっかけです。
■笠間焼の魅力って?
笠間は、関東の産地でもっとも古い焼き物で、いろいろな作家がいることです。多くの作家を受け入れてくれる産地は、珍しいと思います。
「笠間焼ってなに?」とよく聞かれますが、土は『笠間赤土』という鉄分が多い土がメインですが、今はさまざまな土を使い、自由な発想で作品を作る新しい作家が多いのが特徴だと思います。陶炎祭に来る方も、いろいろな作家と巡り会えるので、自分の好きな作品に出会う確率も高いのかなと思います。
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