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自治体の皆さまへ

市長コラム「五島をまもる!」

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長崎県五島市

■「福江みなとまつり」
市長就任からまもなく3ヵ月。
今月号よりコラムを書かせていただきます。市民の皆さま、どうぞ、よろしくお願い申し上げます。
新聞記者をしていた時期もあり、文章を書くのは好きですが、何を書いたらいいのか迷っていた時、「比較日本文化研究5(1998年12月)」の中にある、才津祐美子さんが書かれた「秋夜の火祭り・福江ねぶた」を思い出しました。
五島のねぶたのことが詳しく説明されており、ねぶたの始まりについて書いてみることにしました。
祭りは、旧福江市に久賀島村、椛島村を編入した1957年に始まりました。バラバラに行われていた商業祭、農業祭、漁業祭をまとめたもので、当時はまだ、ねぶたはありませんでした。行われていたのは、4つの神社による神輿巡行、市民総踊りや小中学生の総踊り、仮装行列などで、5メートルほどの鯨のハリボテを担いで歩く人の姿もあったそうです。
祭りは、1975年不況を理由に中止。76年は開催したものの盛り上がりに欠けていたそうです。そこで、商店街連盟は青森のねぶたに目をつけ、青森のねぶたを五島的なものに変えてみようと思ったそうです。
青森商工会議所の協力を得て、バラモン凧の絵柄と関係のある「茨木」と、室町時代の「倭寇」の2台を青森のねぶた師が製作。10月1日の福江まつりの直前の9月26日、青森から11トンの大型トラック2台で運んできたそうです。
翌年には、大円寺の「火消しガッパ」も登場しました。
そして、囃子(はやし)は、テレビで放映された青森ねぶたの囃子を録音したものを参考にしながら練習したそうです。
祭りは、昔も今も「市民総参加」です。
才津さんは「祭りは市民という地縁集団に、ある種の『帰属意識』を喚起させるような側面を持っている」という風に書かれています。先輩たちが五島に持ち込み、五島に根付かせたねぶた祭りの意義を再認識し、これからも維持し、護(まも)らなければなりません。市民の皆さま、お一人お一人が、五島を愛し、心をひとつに合わせることができたらと願ってやみません。
今年も残り1ヵ月。皆さまが心穏やかに過ごされることを静かにお祈りしています。

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