広報いき読者の皆様の壱岐への愛着心を醸成することを目的に、平成22年度から27年度に実施された「壱岐学検定」の問題を出題します。
Q:壱岐学検定『壱岐国続風土記(いきのくにしょくふどき)』には何基の古墳があると記載されているでしょうか?
(1)265基
(2)338基
(3)402基
(4)540基
A:(2)338基
壱岐の古墳時代は、当時の東アジア社会情勢と密接に関係しています。527年に起きた筑紫国造磐井(つくしのくにのみやつこいわい)の反乱で、壱岐の有力者たちは大和政権側につき、反乱を鎮圧しました。また、562年には朝鮮半島で友好関係にあった伽耶(任那)が滅亡し、朝鮮半島にある国々との関係も悪化していきました。そのような社会情勢の中、日韓の架け橋として重要な役割を果たしていた壱岐の有力者たちが両国の関係改善に向けた交渉人として抜擢され、任務を成し遂げた有力者たちが次々と古墳を築造していったと言われています。
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