■松永安左エ門(まつながやすざえもん)
明治8年12月1日に母ミスの実家、芦辺町瀬戸浦の赤木家で生まれ、慶応義塾高等科に入学する15歳まで石田町印通寺浦で暮らしました。慶応義塾大学中退後、日本銀行職員、石炭商などを経て、明治末期から九州で電気事業の経営に携わり、大正時代には(社)電気協会会長に選任され、昭和3年からは、設立にも携わった当時の大手電力会社、東邦電力の社長も務めました。
また戦後は、電気事業の再編に取り組み、民営9電力体制(九州・中国・四国・関西・北陸・中部・東京・東北・北海道)を作りました。
このように、日本の産業、経済の振興発展に大きく貢献し、日本が経済大国と云われる基礎づくりをした偉大な先覚者で、「日本の電力王」「電力の鬼」と呼ばれています。晩年は、茶人としても活躍し、「耳庵(じあん)」の名で三大茶人の一人に数えられましたが、昭和46年6月16日に95歳で逝去されました。
来年は、生誕150周年を迎えます。
問合せ:ながさきピース文化祭2025 壱岐市実行委員会事務局(社会教育課内)
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