弥生時代終末の対馬の中心地「ハロウ遺跡」
ハロウ遺跡(豊玉町仁位)は、仁位浅茅湾の北端に位置する小さな南向きの丘に所在する弥生時代の埋葬遺跡です。1970年と1979年の2度の発掘調査によって箱式石棺墓7基と竪穴式石室1基が発見され、石棺のうち5基が後期後半~終末(約2,000年前)のものであることがわかりました。対馬の箱式石棺墓は、石棺の長辺部分が2枚の板石で作られることが多いですが、ハロウ遺跡で見つかった3基の石棺は、一枚石で作られており、島内ではあまり例がありません。
調査が行われた時点で遺構の残存状態はあまりよくありませんでしたが、豊富な出土遺物によって、(1)弥生時代後期後半~終末の土器編年がより緻密になったこと、(2)対馬における広形銅矛の使用が弥生時代終末にまで及ぶこと、(3)小形内行花文仿製鏡(こがたないこうかもんぼうせいきょう))の製作・分布が弥生時代終末までであることなど、大きな成果を得ることができました。
弥生時代の対馬の人々の生活の痕跡は、佐護、三根、仁位・佐保浦の3地区に集中しています。それがやがて古墳時代にはいると中心地は、美津島町雞知地区に移動していきます。ハロウ遺跡の発見は、弥生時代終末~古墳時代初頭にかけて対馬の人々の生活拠点が、全体的に南下していく過程を知る上で重要な成果であったと言えます。
●次回は、対馬藩の魅せる城「桟原城跡」を紹介します。
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