近世対馬藩の魅せる城「桟原城跡(さじきばらじょうあと)」
桟原城跡(厳原町桟原)は、厳原の中心街から約3.5km北に所在する江戸時代の平山城です。東に後山(うしろやま)(166m)、西に成相山(なりあいさん)(416m)、北に袖振山(ふりそでやま)(312m)と、三方を山に囲まれています。城の範囲も元々山や谷でしたが、造成の結果、現在見られる標高30m程の台地となっています。
1660年に3代藩主・宗義真が築城に着手し、1678年に完成しました。それまで約150年間、藩政の中心であった金石城(厳原町今屋敷)から桟原に居城を移した背景として、(1)朝鮮通信使を迎えるにあたってこれまでの金石城では手狭で通信使に対して藩の威容を見せられないこと、(2)金石城が港から近いため通信使の隊列が整わなかったことなどの理由があったとされています。桟原城の石垣は、場所によってことなる積み方が見られ、築城の詳細な経緯は現時点では明らかではありません。しかし、大きな石をたくさん使用し、随所に美しく立派に見せるための趣向がこらされています。石の中には横の長さが5mを超えるものもあり、築城当時の対馬藩の歴史的な役割・財政状況などをうかがい知ることができます。
昨年の発掘調査時には、石垣の背面に、裏込めといわれる石垣の安定を高めるための工事の痕跡が確認できました。今後も新たな調査が行われていけば、城の詳細な構造が解明されるかもしれません。
次回は、神仏習合の歴史を現在に伝える「木坂海神神社弥勒堂跡」を紹介します。
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