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わがまち再発見 対馬発掘調査日誌 ~郷土の歴史に思いをはせて~ 第21回

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長崎県対馬市

■対馬最大の倭寇の拠点「水崎遺跡」
水崎遺跡(美津島町尾崎仮宿)は、浅茅湾南海岸の西端部に位置する15~17世紀頃の遺跡です。尾崎地区一帯は、中世では東アジア地域の海上交通の拠点として発展し歴史書「海東諸国記」によれば、当時700戸にもおよぶ家が建ち並ぶ、対馬最大の倭寇の本拠地であったとされています。
現在、水崎遺跡はほとんどが畑となっており、一大集落の面影は見られませんが、発掘調査の結果、多くの陶磁器が出土しました。内訳としては、国産陶器の割合が1割程度で、そのほとんどが朝鮮王朝陶磁を主体とする貿易陶磁でした。このことから尾崎一帯を支配した早田氏の様子や彼らが交易によって朝鮮・中国と密接な関係を保っていたことがうかがい知れます。また、琉球を介して東南アジアの国々とも交流を深めたことが陶磁器などの出土遺物によって明らかになっています。
水崎遺跡から出土した遺物の中で特徴的なのが、瑪瑙製の石帯飾りです。石帯とは、日本では古代律令制の下で高級官僚の装束の中に見られるものですが、水崎遺跡では古代の遺物がほとんどないことから、15世紀前後の朝鮮王朝のものと推定されていますが、どのような経緯でこの地にもたらされたのか詳細は不明です。この石帯飾りは、対馬博物館中世展示室で見ることができます。
※瑪瑙…微細な石英の結晶が集まってできた石
※石帯…石の飾りがついた胴帯(どうおび)

次回は、弥生時代後期の朝鮮半島南海岸と墓制のつながりをもつ「経隈遺跡」を紹介します。

問合せ:文化財課
【電話】0920-54-2341

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