文字サイズ
自治体の皆さまへ

わがまち再発見『文化財のみかた』第6回

10/33

長崎県対馬市

■力の象徴としての金属器
金属器には青銅器と鉄器があり、加工具や農具、武器、祭器(さいき)として幅広く使われました。日本列島には弥生時代中期頃(約2,400年前)に伝わったと考えられています。
青銅器は銅と錫(すず)の合金であり、融点(ゆうてん)が低く加工しやすい特徴を持ち、伝来当時の日本でも加工が可能で、作りたては新品の10円玉のように美しく輝き錆びにくいことから、儀式用の祭器として重宝されました。一方、鉄器と比較すると強度が低く、生活道具として使うには不向きでした。塔の首遺跡(上対馬町古里)などから出土した丸みを帯びた刃(は)をもつ大きな銅矛(どうほこ)は、武器としての実用性に乏しく、祭器としての特徴がよく表れています。
鉄器は、強度が高く道具として広く使われるようになりますが、製鉄技術が普及したのは古墳時代であり、弥生時代では鉄剣・鉄刀などの大型鉄器は大陸からの伝来品ばかりでした。しかし、古墳時代に入っても地方では鉄鏃(てつぞく)や刀子(とうす)などの小型鉄器の製造に留まり、大型鉄器の製造技術を持っていたのは畿内のみでした。そうしたことから、厳原町豆酘にある保床山(ほとこやま)古墳(約1,300年前)から出土した金銅装大刀(こんどうそうたち)(金メッキで装飾加工)は中央政権が対馬の支配者に下賜(かし)したものであったと考えられます。

▽青銅器と鉄器の比較(日本)

※融点…物質が固体から液体になる温度

些細なことでもかまいませんので、疑問や質問がありましたらお気軽にお尋ねください。

問合せ:文化財課
【電話】0920-54-2341【E-mail】k_bunkazai@city-tsushima.jp

<この記事についてアンケートにご協力ください。>

〒107-0052 東京都港区赤坂2丁目9番11号 オリックス赤坂2丁目ビル

市区町村の広報紙をネットやスマホで マイ広報紙

MENU