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【特集】比田勝 市政3期目スタート(1)

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長崎県対馬市

【対馬(しま)の良さを、次世代へつなぐ街づくり】
3月3日に行われた対馬市長選挙で再選を果たした比田勝尚喜市長。対馬のリーダーとしてこれまで歩んできた8年を振り返るとともに、様々な課題に直面する対馬の舵取りを、どのように行っていくのかなどについてインタビューしました。

■比田勝尚喜市長プロフィール
昭和29年9月15日生まれ(69歳)
特技:剣道(教士7段)
座右の銘:「為せば成る、為さねば成らぬ何事も…」

昭和52年4月…上対馬町役場奉職
平成13年10月…上対馬町水産振興課長
平成16年1月…上対馬町水産観光課長
平成16年3月…対馬市上対馬支所産業振興課長
平成17年4月…対馬市政策部情報政策課長
平成22年1月…対馬市農林水産部長
平成25年7月…対馬市退職
平成25年8月…対馬市副市長
平成27年10月…対馬市副市長退任
平成28年3月…対馬市市長就任
令和2年3月…対馬市市長(2期目)
令和6年3月…対馬市市長(3期目)

▽市長としての2期8年を振り返り、どのようなことが心に残っていますか?
市長として「誰もが誇りを持つことができる対馬」を目指すべく、様々な取り組みを行ってきました。
1期目の4年間は、国際航路への混乗便が実現するなどした結果、交流人口の拡大をはじめ、ふるさと納税返礼品事業の拡大など、各方面に対馬をアピールすることができました。そのほかにも様々な施策を実現することができ、自らが思い描いていた成果を上げることができたと思っています。
2期目をスタートさせた2020年3月は、新型コロナウイルスの感染が全国に拡大、長崎県でも感染者が初めて確認された頃でした。その後、昨年5月に5類感染症になるまでの3年間は職員とともに対応にあたり、2期目の多くの時間をコロナ対応に費やすことになってしまいました。コロナ禍直前におこった日韓関係の悪化による対馬へのインバウンドの激減などと合わせ、対馬にとって大きな痛手となったことは非常に残念でしたし、動きたくても動けなかったという悔しさが残る3年間でした。

新型コロナウイルス対策については、何もかもが手探りの状態で、感染拡大を防ぐことはもちろん、治療、療養の対応、ワクチン接種対応などを、各関係機関と連携し確実に実施してきた市職員の頑張りには本当に感謝しています。また、感染対策の徹底をはじめ、予防の観点から活動の自粛をお願いするなど、市民の皆さんには、大変なご苦労をおかけすることとなりましたが、皆さんのご理解のおかげでコロナ禍を乗り越えることができました。広大な面積を持つ離島であり、高齢化率の高い対馬において、いつ感染が拡大するかもしれないというプレッシャーと日々向き合うことは大変だったなと振り返っています。
これまでに経験したことのない出来事に翻弄された2期目でしたが、その中でもうれしかったこととして、対馬市がSDGs未来都市に選定されたことが挙げられます。海洋環境の変化による水産業への影響や人口減少、海洋プラスチックごみ対策など山積する対馬の課題に対し、SDGsを通じてこれらの問題に向き合ってきた姿勢が評価されたことは、誰一人取り残さない豊かな対馬づくりを目指す私にとって、とても喜ばしいことでした。
その中でも、海洋プラスチックごみに関する取り組みにおいて、島外から多くの賛同をいただくことができ、具体的に動き出すことができたことは大きなトピックです。年間、3万立方メートル以上の海洋ごみが流れ着く対馬は「日本一海洋ごみが流れ着く場所」と言われるまでになり、その対策に多くの時間と労力を費やしてきました。最近では、海洋ごみが地域だけでなく、全世界的な課題と認識されるようになったことで、対馬が国内外の注目を集めるようになりました。昨年5月には「海の保全と繁栄」の社会課題解決を目指す企業連合である一般社団法人ブルーオーシャン・イニシアチブとの包括連携協定締結を皮切りに、海洋ごみをはじめとする問題解決に取り組む会社が対馬に生まれるなど、これまで対馬に影を落としていた存在が、光り輝く存在として生まれ変わる過程に進んできたと言えると思っています。

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